若者たちの神々41:山口小夜子―朝日ジャーナル1985年20月01日号
まだつづく山口小夜子さんなわけで。今回は1980年代。朝日ジャーナル 1985年20月01日号表紙はこちら↓表紙写真は繰上和美さん―ニューヨークで筑紫哲也さんが編集長だったころこのころの朝日ジャーナルは「若者たちの神々」っていう編集長対談があって山口小夜子さんが出てる。こちら↓対談中の一枚、こちら↓こないだ、何かの記事に、山口小夜子さんはパリコレがキライだったって書いてあったけどもこの対談では山口「(海外での仕事は)自由にできたんです。日本で仕事をしているよりも、海外で仕事をしたほうがなぜか解放されるというか、自由な気持ちでステージを歩けたんですよね」筑紫「じゃ、いやな思いをするとかなんとか...」山口「それは全くなかったですね。日本のほうがいやでした。...いろいろ言われるのが、全部西洋の模倣だったのね。...海外の場合はあなたのそのまんまでいいみたいな感じで、らくだったんです」っておっしゃってます。あとね、山口「でも、着れないものはないですよ」筑紫「そうですか」山口「土だって着れるでしょう」かっこいいっす!で、朝日ジャーナルですが、トップが、「役者レーガン、二幕目の恐怖」っていう特集でこないだ、朝日新聞編集主幹になった船橋洋一さんが「リーダーシップ危機は始まっている」っていう記事書いてる。レーガンの二期目が始まったばかりで、当時はレーガンも中曽根もバカだバカだと思ってたけど今は、アメリカもニポンももっとバカがトップにいるわけでさ。眺めてると、北の湖が引退した直後だったらしいです、このころ。←引用ばっかで ポチ!人気blogランキングへ←ごめんね ポチ!そうそう、おとといの週刊プレイボーイのピンナップですけどよく見たら、裏もあったので、こちら↓上の方のアップ、こちら↓