怖い主治医は……サドだった!
術後1年の検診があった。血液検査の数値は軒並み正常。肝臓も、血液関係も、血糖値も、全て基準値。ファスティングのおかげか。通常の検診ならこれで終わるのだが、今回は造影剤CTの結果がある。少し遡って、診察室に入るところから再現。虫けらの私、『トントントン』ノックする。怖い主治医、中から「はい、どうぞ」ドアを開けて入ると、こちらを見ながら満面の笑みの怖い主治医。私は面食らう。そんな笑顔を見たのは初めてだ。私が入る直前に、看護師たちとよほど楽しい話をしていたのだろうか。虫「先生、すごくお笑いになってますね。何かありました?」怖「どうですか? いつもと変わりなく?」先に私の質問に答えなさい。しかもまた。なぜ先に結果を言うのだろう。変わりがあっても、言うつもりはなかったが。虫「はい」怖「悪い知らせです」え、え、え? そんな笑顔で?怖「転移ですね」虫「どこですか?」中略(詳しい話はまたの機会に)あの笑顔は、私の状況がうれしかったのか。違った背景があるのかどうかわからないが、私がそう思うのは必然である。怖「抗がん剤は受けないとおっしゃいましたが、どうします?」虫「予防的抗がん剤治療は受けないけれど、治療は別です」そう言ったよ。前も。怖「わかりました。治療はするということですね」虫「はい」中略(治療の話)虫「半年前だったら、なかったか、少なかったか」怖「ちょっと考えたんやけど、そうかもしれんね」虫「PETといわんまでも、これくらい(造影剤CT)は半年前にやっていたら」怖「すみません」謝らせた。ずっと思っていたのだ。義父は3ヶ月ごとにPET検査を受けていた。食道という罹患場所の問題や手術内容からのことかもしれないが、1年ほったらかしはないだろう。しかも、今回の血液検査でも、数値は極めてよいのだ。炎症反応も基準値内。腫瘍マーカーも高くない。血液の数値で察知することができないほど小さく、できたてのガンもあると思う。ずっと不信に思いながらも何も言わなかった。怖い主治医の治療方針に逆らったのだから、泣き言的訴えは言えないと思っていた。怖い主治医の「すみません」の後に私は、「いえ、これが運命だったんでしょう」と言った。ま、今更言っても仕方のないことだ。怖い主治医がやおら私に向き直った。怖「どうですか、この結果について」これは、『予防的抗がん剤治療をやっておけばよかっただろう』という含みのある言い回しだと思った。及第点の答えは、「抗がん剤をやっておけば、もう少し遅らせることくらいはできたかも」あたりだろうか。虫「1年も元気に、やりたいこと、やらないといけないことをして過ごせました。 満足です」怖「……」虫「再発や転移は予測していましたが、1年間元気に過ごさせていただけたことに 感謝してます。ありがとうございます」怖「……」虫「ガンって、いい病気ですね」怖「けど、苦しんだやんか。腸閉塞になって」虫「症状のない病気はありませんから。それより、 突然亡くなる脳梗塞とか、心筋梗塞なら、時間の猶予がない。 ガンは、大体の余命がわかるし、その間に片付けないといけないことができる」怖「脳梗塞や心筋梗塞は爆弾みたいなもんやからね。爆発したら終わりや」そう言うとるがな。怖い主治医、膵臓部分の画像を見ながら怖「膵臓がね…」えーーーっ、それ、一番重要やん。虫「ガンですか?」怖「違うと思うねんけど、一応検査しとこか」膵臓となると、エコーか。怖「胃カメラ飲んでもらうよ」なんで膵臓なのに胃カメラ?怖「膵臓が胃に密着しとるねん。胃側から何かわかるかもしれん」えー、素人の私でもそりゃおかしいと思う。でもいい。ある程度の金儲けには協力せねばならん。怖「いまは、麻酔使って楽にできるから」虫「要りません」怖「えっ???」ものすごくあっけにとられた表情の怖い主治医。虫「何度も胃カメラ飲んでますが、麻酔なんかない時代からやってますから。 麻酔は不要です」怖「僕もこの間やったけど、えらい状態になったよ」虫「夫も、涙と鼻とよだれでグシャグシャになったと言ってましたが、 私はそんなことになったことありません。先生もそのタイプですか?」怖「まぁ…、よだれやけどね」想像したら笑えた。目に涙を浮かべ、よだれをだらだら流しながら口にファイバーを突っ込まれている図。怖「麻酔…、やっといた方がいいと思うけど」虫「それは、先生がそうだったからでしょう?」怖「僕も麻酔せずにやったけどね」わかっとるわい。麻酔した上によだれだらだら流してたら、やる意味ないがな。虫「要りません。大丈夫です」怖「そうかなぁ。やっといた方が…」しつこいなぁ。そんなに儲けたいんか。否、この人はサドなんだとわかった。とにかく人の言うこと(主張)を否定し、上から自分の意見をかぶせる。大抵の人は、屈服するのだろう。しかし、私のような人間は、曲げないところは曲げない。それがよほど腹立たしいというか、許せないのだろう。その仕返しに、私の主張を後悔させる結果へと導く。そしてそのとき、満面の笑みで「どうですか?」と聞く。検査の内容や間隔は病院や医師の考え方、患者の状態によるのだろうが、いくらなんでも1年の放置は長すぎる。患者は、悲惨な結果に対して後悔の弁を述べる。「先生の言う通りにすればよかった」と。しかし、私はあさっての回答をする。私は最初から言っていた。「長生きしたいとは思っていません」「あるがままでいいと思っていましたが、イレウスは計算外でした」「効果が期待できない予防的抗がん剤治療はやめ、それに費やすだろう日々をやらないといけないことに使います」と。「治療的抗がん剤は拒否しません」とも言っていた。今回は、「この状態で何もせずに死ぬと家族に申し訳ないし、片付けないといけないことがまだあります」と付け加えた。よしんば、今回直面した結果に私が異議を申し立てたとしたら、怖い主治医は私の意に沿った検査、治療方針を立てたと言うだろうし、それは間違いではない。ただ、普通の医師なら、患者がそうは言っても少しでも長く生きられる配慮はするだろう。しかし、怖い主治医はそういうタイプの医師ではなかったということだ。処置室に移り、胃カメラの説明を看護師さんから受けたとき、「麻酔の説明をしますね」と言われたので、「え、麻酔は要らないと言ったのですが」と言うと、説明係の看護師さんは、慌てて麻酔の説明書を処分しようとしたが、私が診察を受けたときに診察室にいた看護師さんが気づいて「そうですよね。ちょっと聞いてきます」と怖い主治医の元へ行った。「一応、説明しておいてと。準備しておくようです」要らんとあれほど言ったのに。なぜ、これほど頑ななんだ。自分が辛かったから、やった方がいいということだ、なんて、私が思うわけないだろう。所詮、金儲けだと思う。最近は皆、麻酔をするようになっているのだろう。(もしや、麻酔で眠らせたい理由でもあるのか?)よし、当日、絶対拒否してやる。こうして、命がけの1年検診が終わった。怖い主治医に大笑いさせる、文字通りの結果だったわけだ。ふん。これからは違うステージに入らざるを得ないが、仕方ない。こうやって、人は死ぬその瞬間まであたふた、ジタバタしながら生きるのだ。