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テーマ:プロ野球全般。(13223)
カテゴリ:今の話題
例年で行くと2日は新聞休刊日ですから、元日のネタを取り上げておきます。
Bs大石監督「一戦必勝」丑年はバファローズイヤー スポニチOSAKA 一戦必勝は大石さんが就任当初からずっと掲げていた言葉ですね。 一戦必勝となれば目の前の試合に集中しないといけないので、選手もそれを心がけて欲しいです。 ■小松ブログスタート 1月1日にスタートすると報じられていた小松ブログですが、本人が「1月1日00:01:08」にUPしてキッチリ始まりました。 2009年始まったでぇ 小松聖オフィシャルブログ コメント数がいきなり3桁なので、流石全国区というところでしょうか ちなみに次のブログももうされてます。 また、背番号11番の川越ブログも謹賀新年!!にて狙ったかのように2009-01-01 11:11:11にUPしてます 大久保君も皆様、シモヤマンも(^-^)/にてブログスタートしてます。 Bs公式では大石監督の挨拶を動画で確認できます。 あと、昨年ですがこの話題は確か取り上げてなかったですよね。 【なにやっ10】大石監督と佐々木コーチ、仲良しの秘密 12月30日サンスポ オリックス・大石大二郎監督と、今オフから球団入りした佐々木修投手チーフコーチの関係が、不思議で仕方なかった。 年齢は大石監督が4つ上。佐々木コーチは大石監督に対して必ず(公の場では間違いなく)敬語。それでも、ひしひしと感じるのが、仲の良さや互いを認め合うニュアンス。二人の間にどんな結びつきがあるのか、ずっと気になっていた。 近鉄時代の同僚だから…という理由はもちろんだが、佐々木が入団した85年、大石は既にスター選手。今でも佐々木コーチが「話しかけづらかった」と語るように、同じチームでも特に親しいわけではなかったようだ。 なぜ今のような間柄になったのか。転機は88年にあったらしい。88年の近鉄。野球ファンならば、すぐに『10・19』を思い浮かべる。ダブルヘッダーの最終130試合目でV逸した悲劇の1年。そんな壮絶な戦いがあったオフ。二人は同じ病院の、同じ部屋にいた。 「僕の一人部屋だったのに、急きょ病院に言われて相部屋になった」と大石監督。右肩手術で入院した矢先、後輩が転がり込んできたわけ。佐々木コーチは当時左ひざ手術で入院。偶然が重なった結果の“同居生活”は2カ月も続いたという。 佐々木コーチは「(おかげで大石監督も)しゃべらないとしようがない、となったんでしょう」と笑顔。それからは下戸の佐々木が大石の運転手代わり(?)となり、付き合いが増えていったようだ。野球選手として最もつらい故障との戦いの間をともに歩んだ。単なる同僚以上の関係が生まれた理由もうなずける。 「プロ野球選手はユニホームを脱いだら、おっちゃん。野球をやめたら何ができるんだろうな」 あの年。病院のベッドで、そんな会話を交わした二人が今、再び同じ戦闘服に袖を通している。 佐々木コーチって下戸だったんですか。。。 +++ ロッテ お天気お姉さん専属設置を検討 デイリー ロッテの球団専属“お天気お姉さん”が誕生?海沿いで変わりやすい千葉マリンスタジアムの天候に対応するため、球団専属の気象予報士設置の検討を始めた。「独自に幕張周辺の天気予報をHP上へ出すことで、ファンの出足が良くなる」と球団関係者。さらに「キャラやビジュアルに特長があればベスト」と、人気が出ればHPのコンテンツやイベント起用などで、活動の幅を広げることも計画している。 確かにマリンはお天気変わり易いです。 でも、やるからには的中確度を上げて欲しいなぁと。 ファンの皆様へ “LEGEND BLUE LIONS”始動 西武公式 新ペットマーク・チームネームロゴについて 西武公式 ユニフォーム、ロゴが変わるようですね。 確かに西鉄流。 +++ 応援いただける場合はクリックしてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/01/02 12:08:34 AM
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