カテゴリ:仏教の2500年
「科学は結構なもので、われわれの生活が便利に、安直になり、昔は大名か大金持ちでなければ、手に入れることもできなかったものが、今は誰もが平等に味わい、身に着けていることができる。まことに結構ですが、同時に人間がことごとく機械になってしまったことは近代文明の弊害です。機械を使うということは、人間が機械になるのではありませんが、使うものに使われるというのが、人間社会間の原則であるらしい。人間が機械をこしらえて、いい顔をしている間に、その人間が機械になってしまって、独創ということがなくなってしまう。この弊に陷らないため、宗教がある。宗教は常に自分だけの世界を創り出していくことを教えている。私は宗教によってのみ、近代機械化の文明から逃れることができると思う。それで具体性と創造性を兼備した禅を、世界に広めなければならぬ。物を離れて物を見る、この世界を離れて、別に存在する世界を見る、すなわち物の中にいて物に囚われぬ習慣をつけておかなければならぬと思う。朝から晩まであわただしい、機械化した生活から一歩退いてその圏外に立って、この世界を見る(正覚)ということができねばならぬ、すなわち坐禅をしてみるというだけの余裕ができなければならぬと思う」。大拙が昭和5年に、述べたことです。
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最終更新日
2012年07月23日 06時47分41秒
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