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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2019年11月20日
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カテゴリ:千の朝

 旅順口となると、その名を聞くだけでも、
 日本国民は体面の毀損(きそん)を
 痛憤(つうふん)して止(や)まぬものであった。

 旅順口は、
 一八九四年(明治二十七年)短期間ではあったが、
 全力を尽くして克ち得たもの、
 しかも日清戦争(にっしんせんそう)の砲煙(ほうえん)
 まだ全く消えない中に、
 その大勝の成果は、
 露国干渉(ろこくかんしょう)のため
 たちまち無に帰するにいたったのだ。

 二ヵ年後には、
 ロシア人が「一時的駐在(ちゆうざい)」と称して、
 旅順口に入って来た。

 日露両国の衝突(しようとつ)は、
 その時から既に避(さ)けがたい形勢となっていたのである。

 露国が干渉(かんしよう)の手を延(の)ばして、
 二十七、八年戦役の成果をば、
 手もなく横領(おうりよう)し去って以来、
 日本国民は必ずその痛恨(つうこん)を晴そうとして、
 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、
 準備に汲々(きゅうきゅう)たること十年に及んだ。

「乃木大将と日本人」 S・ウォシュバーン 講談社学術文庫





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最終更新日  2019年11月20日 05時00分07秒
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