カテゴリ:認識の歩み
長江流域では呉・越という 2つの新興勢力が興っていました。 呉は闔閭・夫差の2人の君主と名臣孫武・伍子胥、 越は君主勾践と名臣范蠡の力により 急速に勢力を拡大しました。 呉は楚の首都を陥落させ、 滅亡寸前に追い込むほどの力を見せています。 さらに越を撃破して服属させ、 黄河流域に進出して諸侯の盟主の座を 晋と争っていました。 しかし、 一旦屈服した越は入念な準備に基づいた 反撃をおこなって、呉を滅亡させました。 越も勾践の死後は振るわず、 後に楚に滅ぼされてしまいました。 完全な異民族が中原の覇者となったことで 周王朝を中心とする秩序が無意味化したこと、 呉越は製鉄の先駆地でこの頃から 本格的に鉄器時代に入ること等から、 呉越抗争の直後からを戦国時代とする説もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年07月07日 05時00分06秒
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