カテゴリ:認識の歩み
「矛盾によって対象の無なることを証明する」とは、 言うまでもなく、有名な 「ゼノンのパラドックス」のことを言い表しています。 ゼノンがこれらのパラドックスで言いたかったのは、 「運動は矛盾するものだから真理ではない」 ということです。 運動なき絶対的な「一」の証明です。 最も有名なのは、 アキレスは亀に追いつけないという、 「アキレスと亀」のパラドックスです。 しかしヘーゲルは、ゼノンのパラドックスは、 どれもでっち上げられた概念に基づくものだと主張します。 ゼノンは、空間や時間の無限分割を問題にするのだが、 そもそも空間や時間が無限分割可能なものだ という考え自体が、 「思考」によって不用意に思いつかれた まやかしにすぎないのだと。 ここでヘーゲルは、次のように述べます。 「難問が生じるのは、不徹底な思考のゆえである。 しかしそれゆえにこそ、 それは徹底した思考によって 解き明かされるべきものなのだ」。 ともあれ、ヘーゲルは、 未だ中途半端ではあるにせよ、 エレア学派が概念を高度に使用しようとしたことを 「エレア派に至ってはじめて、 無限の概念が展開されてその矛盾があらわになっている、 つまり、矛盾が意識されている。」 と高く評価しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月25日 07時46分28秒
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