カテゴリ:認識の歩み
垂仁天皇88年7月条によると、 新羅王子を自称する天日槍が持って来た 但馬の神宝を見たいと天皇が言ったので、 使者を遣わし天日槍曾孫の清彦に 勅命を下して献上させました。 神宝とは羽太の玉、足高の玉、鵜鹿鹿の赤石の玉、 日鏡、熊神籬の5物でした。 これらとは別に 「出石(いづし)」という名の小刀1口がありましたが、 清彦は「出石」だけは天皇に渡してはなるまい と思い立ち、衣の下に隠しました。 しかし天皇が清彦を遇しようと 御所で酒を与えられた際に見つかってしまいました。 清彦は隠し通せず、 これが神宝の1つであることを言上すると、 天皇はこれと他の神宝とを一緒にして 神府(みくら:奈良県天理市の石上神宮の神府)に 納めました。 しばらくのち、天皇が神府を開くと 小刀が自然になくなっており、 清彦に人を遣わして問いただすと、 清彦は小刀が自然と清彦の家に来たが その日の朝にはなくなったと言いました。 天皇は畏れそれ以上は小刀を求めることをやめましたが、 一方の小刀はのちに自然と淡路島に至り発見されたので 島人により祠に祀られました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月14日 05時00分07秒
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