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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2022年11月08日
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カテゴリ:認識の歩み


天智天皇(中大兄皇子)は、
大化の改新により
中央集権国家の体制を整備しただけでなく、
皇太子時代の斉明(さいめい)天皇6年(660)5月に
日本で最初の水時計(漏刻)を取り入れ、
人々のあいまいな時間意識を一変させ、
即位後には新たな漏刻を
整備(『日本書紀』天智天皇10年4月辛卯条)しました。

1981年に発見された飛鳥寺の西にある
斉明天皇時代の漏刻台跡である水落遺跡が
その遺構と言われています。

漏刻は、容器に水を流し入れ、
たまった水の水位の変化によって
時間の推移を読み取る仕組みです。

漏刻は同時期の唐のものを参考に、
複数の水槽を階段状に並べ
管でつないでいたと考えられます。

水槽は漏壺(ろうこ)と呼ばれ、
一番下の漏壺(箭壺(せんこ))の上には
唐の十二辰刻制に基づいて時刻を刻んだ
「箭(せん)」を持つ人形が置かれていました。

十二辰刻制は24時間を12に割り、
十二支の名をつけたもので、
箭壺の水位が上がるにつれて箭も浮上し、
その動きを見て時間の変化を把握したのです。

漏刻で時間を計るにあたっては、
多くの人数を必要とし漏壺に水を注ぐ役、
水位を読み時刻を告げる役、
また時間を問わず水を流す役などがあり、
重要な設備だったのだと分かります。





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最終更新日  2022年11月08日 05時10分05秒
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