カテゴリ:認識の歩み
アラビア人といえば、 今ではヨーロッパ人の圧迫の下に 見る影もなく喘いでいますが、 七世紀頃の彼等の組先は、 コーランを片手に剣をふり廻して、 東はインドの西部から 西は北アフリカを経てスペインにまで至る 膨大なサラセン帝国をうち建てたのです。 この帝国はその後間もなく 東西二つのカリフ国に分裂しましたが、 両王朝とも歴代のカリフが保護奨励に努めたので、 学問芸術ともに大いに興り、 その二つの首都バグダッド(メソポタミヤ)と コルドヴア(スペイン)とは 当時の文化の二大中心地でした。 ギリシアの古典は続々とアラビア語に翻訳され、 また早くから開けた東方との交通によって インドの学問は止めどもなくカリフの国に入って来ました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月10日 05時00分06秒
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