カテゴリ:認識の歩み
![]() 格義仏教は、 魏晋時代に漢訳経典に基づいて広まり、 儒教の経典解釈学の手法に倣って、 仏法を中国古典の概念に当てはめて理解するものです。 魏・晋の時代には老子や荘子の「無」が 万象の根源であり道の根本であるという、 無為自然の道を体得するのが聖人であるとの思想が発展し、 前漢・後漢の時代の支那は儒学全盛でした。 しかし、後漢の滅亡とともに儒学の権威は衰退しました。 儒教の思想家は仏典にも興味を抱き、 「般若経」や「維摩経」の空思想を 老荘思想に類似したものとして受け入れ、 ここに外来仏教の教義が支那に受容される 精神的土壌が育成されました。 北朝(=異民族)は北魏の文成帝(452年即位)、 南朝(=漢民族)は梁の武帝(502年即位)は、 ともに仏教を奨励し、 インド僧の達磨、真諦は武帝により支那に招かれました。 達磨は禅を伝え、慧可(487-593)が引き継いで、 支那独自の宗派・禅宗として永く栄えます。 真諦(499-469)は唯識派の論書を含め 多くの経典を翻訳しました。 魏・晋では知識人が 道教や儒教の思想を借りて解釈する 格義仏教と呼ばれる仏教哲学が開花しました。 しかし、後に新たな訳経や解釈法が登場して 格義仏教は衰退しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月30日 05時10分06秒
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