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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2023年05月30日
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カテゴリ:認識の歩み


格義仏教は、
魏晋時代に漢訳経典に基づいて広まり、
儒教の経典解釈学の手法に倣って、
仏法を中国古典の概念に当てはめて理解するものです。

魏・晋の時代には老子や荘子の「無」が
万象の根源であり道の根本であるという、
無為自然の道を体得するのが聖人であるとの思想が発展し、
前漢・後漢の時代の支那は儒学全盛でした。

しかし、後漢の滅亡とともに儒学の権威は衰退しました。

儒教の思想家は仏典にも興味を抱き、
「般若経」や「維摩経」の空思想を
老荘思想に類似したものとして受け入れ、
ここに外来仏教の教義が支那に受容される
精神的土壌が育成されました。

北朝(=異民族)は北魏の文成帝(452年即位)、
南朝(=漢民族)は梁の武帝(502年即位)は、
ともに仏教を奨励し、
インド僧の達磨、真諦は武帝により支那に招かれました。

達磨は禅を伝え、慧可(487-593)が引き継いで、
支那独自の宗派・禅宗として永く栄えます。

真諦(499-469)は唯識派の論書を含め
多くの経典を翻訳しました。

魏・晋では知識人が
道教や儒教の思想を借りて解釈する
格義仏教と呼ばれる仏教哲学が開花しました。

しかし、後に新たな訳経や解釈法が登場して
格義仏教は衰退しました。





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最終更新日  2023年05月30日 05時10分06秒
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