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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2023年08月31日
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カテゴリ:認識の歩み


フン族の大軍は四五一年、
西ローマの要衝の地、ガリア(フランス)を目指して
渡河西進します。

東ゴート人など多数のゲルマン諸部族が合流し、
疾風怒涛の進撃に、
またたく間にトレーヴ、メッツ、ランスの諸市が
焼け落ちましたが、
聖女ジュヌヴィエーヴの信念にみちた激励によって
抵抗を決意したバヮ(当時のルテティア)は
征服をまぬがれました。

侵略の鉾先(ほこさき)は
トロワとオルルアンに向けられました。

この二市が奪われればガリアは
ローマの手中から失われてしまいます。

皇帝ヴアレンティニアヌス三世は、
元ガリア総督、時の軍務長官アユティウスに
救援を命じました。

従ったものは
テオドリッグ一世の率いる西ゴート人、
メロヴュ王のフランク人、その他アラン人、
プルグンド人、プルトン人など、
ゲルマン諸族の混成軍です。

それぞれローマの旗印の下に結束し、
トロワ西南四キロの地点、
カタラウヌム原野で
アッテイラとの同族あい討つ
蛮族の決戦が起こりました。

戦いは凄惨をきわめ、
戦場を流れる小川は、
死傷者の血潮で奔流となって血しぶきをあげ、
夜に入って陣をひいた後も
戦死者の死霊がさまよい、
たがいに敵を求めて戦いをやめなかった。

敗れたアッテイラは
いったん東方へ退却しましたが
フン族の脅威は終わったわけではありません。

やがてかれらはイタリアに姿を現わすのです。





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最終更新日  2023年08月31日 05時10分07秒
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