カテゴリ:認識の歩み
遣唐使廃止の時期は、シナ文化の衰退期で、 その圧力が弱まったこともあり、 国風文化の形成は、あらゆる面に行われました。 なかでも仏教の日本化の一つに、 本地垂迹説(すいじやく)があります。 すでに八世紀に、 仏教信仰と固有信仰とを 調和させる努力が僧侶側からなされ、 神々は仏法によって救われる 衆生の一つであるとされ、 そのため神宮寺が設立され、 菩薩の位をもつものも現われました。 やがて十二世紀頃には、 神々は仏が衆生済度の方便のために、 神の姿となってわが国に 迹を垂れたものであるとの説が起り、 のちには一々神にそれぞれ 本地仏を定めるようになりました。 これが組織化するのは次の鎌倉時代ですが、 この本地垂迹思想は明治維新の神仏分離まで、 長く国民思想を支配しました。 その基礎はこの時期におかれたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年11月08日 13時16分13秒
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