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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2023年11月07日
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カテゴリ:認識の歩み


遣唐使廃止の時期は、シナ文化の衰退期で、
その圧力が弱まったこともあり、
国風文化の形成は、あらゆる面に行われました。

なかでも仏教の日本化の一つに、
本地垂迹説(すいじやく)があります。

すでに八世紀に、
仏教信仰と固有信仰とを
調和させる努力が僧侶側からなされ、
神々は仏法によって救われる
衆生の一つであるとされ、
そのため神宮寺が設立され、
菩薩の位をもつものも現われました。

やがて十二世紀頃には、
神々は仏が衆生済度の方便のために、
神の姿となってわが国に
迹を垂れたものであるとの説が起り、
のちには一々神にそれぞれ
本地仏を定めるようになりました。

これが組織化するのは次の鎌倉時代ですが、
この本地垂迹思想は明治維新の神仏分離まで、
長く国民思想を支配しました。

その基礎はこの時期におかれたのです。





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最終更新日  2023年11月08日 13時16分13秒
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