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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2024年05月07日
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カテゴリ:認識の歩み


南朝軍で唯一優勢を誇っていた九州の懐良親王軍が、
東上の軍をおこしましたが、
途中で瓦解しました。

諸国の直冬(ただふゆ)党も勢いを失い、
天下三分の混沌状態は克服されつつありました。

義詮が十三年ぶりに
三条坊門の将軍御所を再建したのも、
そんな状況を踏まえた余裕のあらわれでしょう。

しかし、幕府内部は相変わらず混乱しており、
管領斯波義将が失脚しました。

将軍権力の強化に熱心すぎたことが原因です。

管領として当然ともいえるこの行為が、
有力守護の反発をかい、
管領の失脚になったあたりに、
室町幕府の命運が予兆されています。

義詮の死にともない、
僅か十一歳の義満が第三代将軍となり、
細川頼之(よりゆき)が
執事として補佐することになりました。

『太平記』はこの頼之の登場をもって、
「氏族モ是(頼之)ヲ重ンジ、
外様モ彼命(かのめい)ヲ不背(そむかず)シテ、
中夏(ちゅうか)無為(ぶい:平和)ノ代ニ成テ、
目出(めでた)カリシ事共成」
と筆を擱いているがはたしてどうなったでしょう。





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最終更新日  2024年05月07日 05時10分07秒
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