カテゴリ:認識の歩み
![]() 南朝軍で唯一優勢を誇っていた九州の懐良親王軍が、 東上の軍をおこしましたが、 途中で瓦解しました。 諸国の直冬(ただふゆ)党も勢いを失い、 天下三分の混沌状態は克服されつつありました。 義詮が十三年ぶりに 三条坊門の将軍御所を再建したのも、 そんな状況を踏まえた余裕のあらわれでしょう。 しかし、幕府内部は相変わらず混乱しており、 管領斯波義将が失脚しました。 将軍権力の強化に熱心すぎたことが原因です。 管領として当然ともいえるこの行為が、 有力守護の反発をかい、 管領の失脚になったあたりに、 室町幕府の命運が予兆されています。 義詮の死にともない、 僅か十一歳の義満が第三代将軍となり、 細川頼之(よりゆき)が 執事として補佐することになりました。 『太平記』はこの頼之の登場をもって、 「氏族モ是(頼之)ヲ重ンジ、 外様モ彼命(かのめい)ヲ不背(そむかず)シテ、 中夏(ちゅうか)無為(ぶい:平和)ノ代ニ成テ、 目出(めでた)カリシ事共成」 と筆を擱いているがはたしてどうなったでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月07日 05時10分07秒
コメント(0) | コメントを書く |
|