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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2024年05月13日
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カテゴリ:認識の歩み


1467年(応仁1)から十一年間続いた内乱は、
細川勝元と山名持豊(宗全)との対立に,
将軍足利義政の跡継ぎ問題,
斯波・畠山両管領家の相続争いがからんで,
諸国の守護大名が細川方の東軍と
山名方の西軍に分かれて戦われました。

戦乱は地方に拡散し,戦国時代を現出しました。

京都は荒廃し,以後幕府の権威は失墜しました。

鎌倉時代末期まで、武士たちの社会では
一族のボス(家督かとく)が持っていた所領は、
その子供たちや兄弟に
分割相続されるのが常識でしたが、
鎌倉時代末期になると、次第に
分割相続の制度が崩壊していきます。

分割相続が崩壊すると、
亡くなった家督の所領を次の家督が
一人で総取りする
単独相続が行われるようになります。

室町時代に入って単独相続が行われると、
所領はすべて
次期家督が引き継ぐことになったので、
一族内で家督をめぐる争いが
起こりやすくなりました。

応仁の乱は、元々は有力守護大名であった
畠山家の家督争いだったのですが、
そこから将軍家の跡目争いや
細川家と山名家の覇権争いも交わったこと
によって一気に複雑化しました。





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最終更新日  2024年05月13日 05時00分09秒
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