カテゴリ:認識の歩み
ジョンは、1214年に フランスと対立する 神聖ローマ皇帝オットー4世らと共に フランスの北と南から攻撃を行いますが、 フランドルのブーヴィーヌの戦いで 惨敗し撤退するはめになりました。 フランスからイングランドに 逃げ帰ったジョンは、 不満で爆発寸前の諸侯や民衆に迎えられました。 崖っぷちに立たされたジョンは、 内戦にもつれこむより、 ここはひとつ、諸侯の要求を呑み、 マグナ・カルタに署名をした方が 得策という結論に達して 諸侯が提案した文書に承諾を与える という要求を呑むことを決意して、 1215年6月15日、 ロンドン西部にあるテムズ河畔の ラニーミードにむかいます。 ジョンは諸侯の言い分を 受け入れることを約束させられ、 マグナ・カルタに国璽(印章)が押されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月26日 05時00分09秒
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