カテゴリ:認識の歩み
1492年、クリストファー・コロンブスが 「インド」(実際には西インド諸島)に到達し、 帰還しポルトガル・スペイン両国において 「新世界」への冒険的航海がブームとなりました。 しかしコロンブス以前から、 船団の到達先において両国はしばしば争い、 抜本的な解決策が求められていました。 すでに1481年に布告された 教皇シクストゥス4世の回勅 『エテルニ・レギス』(Aeterni regis)で、 カナリア諸島以南の新領土は すべてポルトガルに与えられる と定められていました。 ところが1493年になると スペイン出身であった教皇 アレクサンデル6世が 自国に便宜をはかろうと、 カーボベルデの西わずか100レグアの地点を 通過する子午線を境界線に、 それより東側は ポルトガルに優先権を認めるにせよ、 西側の土地はすべてスペイン領にする という回勅『インテル・チェテラ』を 布告しました。 西方への航海熱が高まっていた時代、 当然ポルトガルのジョアン2世にとって この裁定は不愉快でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月06日 06時04分46秒
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