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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2024年09月06日
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カテゴリ:認識の歩み


1492年、クリストファー・コロンブスが
「インド」(実際には西インド諸島)に到達し、
帰還しポルトガル・スペイン両国において
「新世界」への冒険的航海がブームとなりました。

しかしコロンブス以前から、
船団の到達先において両国はしばしば争い、
抜本的な解決策が求められていました。

すでに1481年に布告された
教皇シクストゥス4世の回勅
『エテルニ・レギス』(Aeterni regis)で、
カナリア諸島以南の新領土は
すべてポルトガルに与えられる
と定められていました。

ところが1493年になると
スペイン出身であった教皇
アレクサンデル6世が
自国に便宜をはかろうと、
カーボベルデの西わずか100レグアの地点を
通過する子午線を境界線に、
それより東側は
ポルトガルに優先権を認めるにせよ、
西側の土地はすべてスペイン領にする
という回勅『インテル・チェテラ』を
布告しました。

西方への航海熱が高まっていた時代、
当然ポルトガルのジョアン2世にとって
この裁定は不愉快でした。





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最終更新日  2024年09月06日 06時04分46秒
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