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びーちぇの別館

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2006/02/11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
raku_koubou.jpg

紀元節は、もういろんな方が書かれているように、
明治5年11月15日の太政官布告にて、
神武天皇即位日と天長節(明治天皇お誕生日)の両日を、
祝日と定めたことによります。
『日本書紀』に
辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歳爲天皇元年
とあり、この日を太陽暦では2月の11日であったとし、
建国の日の根拠とした訳です。




さて、ヲシテ文献から考察しますと、
さらに面白いことが分かります。

やはり、この方神武天皇(カンヤマト イワハレヒコ)をもって
大きな時代区分としているのです。

つまり「カミノヨ」から「ヒトノヨ」と移ったのだと。
そしてご名称も「アマカミ」から「スヘラギ」へと変わっています。

「カミノヨ」は祖先の世、上の世ということなのですが、
この時代は残されたフミ、あるいは伝承によって知ることが出来る時代。

それに対して「ヒトノヨ」というのは、
未だ生き生きとそのお人柄やご業績をしのぶことができる・・・
そういう時代に入ったということなのですね。

考えてみれば書かれた当時から700年くらいの昔、
私達が思い浮かべることが出来る例としては、
義経、頼朝時代の感じなのでしょうか?



もうひとつこの文献でしか分からないことは、
なんと、あの
「アマテルキミ」のお誕生もやはりお正月、
元日の朝日と共に、お生まれになったと記されています。


そして、この日をいわば、
国の再生の日、新たなる誕生ととらえて尊んでいたのです。

それは、世継ぎが絶えそうになって、
初めての「日嗣の皇子」のお誕生でしたから。




このように「紀元節」
カミの導きによって定められたかのような、
古代からの由緒もあり、
伝統の輝きを秘めた、尊い祝日
ですので、
ぜひ法改正によって、このお名前を復活させたいと願っています。







☆びーちぇの「ヲシテのクニ」では
 皇位継承 古代における女性の尊さについて
 男系尊重は、すなわち女性尊重のしるしであったことを
 記事にしました。
 読んで頂けたら嬉しいです。






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Last updated  2012/01/30 03:22:38 PM



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