テーマ:思い出話(53)
カテゴリ:オトタマのこと
「お前さんたちナぁ…」と言いながら近寄って来たと思ったら、母の手をそっと引き、自分の前掛けの中へと誘き寄せ、何気に母の手に手渡して…!
「今日はいい天気だねぇ」とか、「この子も大きくなったねぇ」とか、まるで何事もなかったように話をし、「さぁて、そろそろ晩御飯だねぇ」と言いながら立ち去っていく。 母に連れられ国道沿いで車の走るのを見ていると、そこへ父の勤め先の「石屋のおばさん」がやってきて、前述のようなやり取りが幾度となく繰り返されていたそうです。 母の手をさっと取るや否や、おばさんの前掛けの中へと誘き寄せられ、そこにはおばさんから母の手に百円札などが握らされていたとか…! まるで何事もないかの如く、近所や周りから見られぬように気配りし、それがどういうことかは、オトタマも幼心にわかっていたそうです。 当時近くの魚屋の前を通ると、「お代はいらないからこれ持って行きな」と切り身や干物を渡されたことも幾度かあったそうです。 後日魚屋から聞いた話では、あの母子が通りかかったら、たまにでいいから切り身や干物を渡してあげてと石屋のおばさんから頼まれていたそうです。 オトタマのお父様は聴覚言語に障害があり、賃金も安かったそうで、そんなこんなでその穴埋めを勤め先の奥さんが内緒でしてくれていたそうです。 その後も街で出会ったりすると、何気に立ち話をする合間に、「この子に飴でも買ってあげなよ、小銭だけど」と言いながら、それなりのお金を握らせてくれたそうです。 当時の百円、時に五百円ですが、貧乏人にとってはかなりの額で、ましてや今とは金銭の価値も異なり、気持ちもそうですが物理的にもかなり助かっていたんじゃないかと、オトタマは今でも感謝しているそうです。 オトタマが成長し、新聞配達をしながら学校へ通い、頑張っているのを知ったそのおばさん、ものすごく喜んだそうで、オトタマ家族をいつまでも見守ってくれていたそうです。 晩年は箱根の施設で過ごされていたそうで、見舞おうとしても辞退されたとかで、それでも行けばよかったと今でも悔やまれるとオトタマ。 ただ、オトタマが役所勤めをしていると知った際には、うんうんと頷き、喜んでいたと、おばさんの家人から後日聞かされたそうです。 今では代替わりし、石屋と呼ばれていた土建業も廃業したそうで、それでも懐かしき思い出は尽きぬオトタマ。60年以上前の話だそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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