|
カテゴリ:カテゴリ未分類
白山は、北陸地方の代表的な霊山です。
最高峰の御前山は、海抜2702メートル。 他の山から雪が消えても、残雪のため遠方からでも一目で見分けられる山です。 とはいっても、実際に白山の姿を見たことのある方は、あまり多くはないと思います。 白山は、深い山々に囲まれているので、平地から見える所が少ないからです。 それなのに、古代から有名なのは、海上からはとても良く見えて、船の航行の目印になったからだといわれています。 御前山には、白山ひめ神社(しらやまひめじんじゃ)の奥宮があります。 白山ひめ神社は、加賀一宮としての格式を誇る古社で、創建は崇神天皇の御世とされています。 祭神は、菊理姫(くくりひめのかみ)、イザナギ尊、イザナミ尊の三神です。 中世の記録によると祭神は、イザナギ尊、イザナミ尊の二神なので、菊理姫は比較的に新しく祀られる様になった女神といえるでしょう。 白山の開山は、養老元年(717年)修験道僧の泰澄大師(たいちょうだいし)が白山山頂で、白山神の本地仏として十一面観音を感得したことに始まります。 泰澄大師は、大宝2年(702年)に、文武天皇より鎮護国家の法師に任じられています。 高句麗からの亡命帰化人の子ともいわれ、仏教界、政界の有力者とも親密な関係を保ち、仏教化された白山信仰を広めることに貢献しました。 この平城遷都直前の時代は、白鳳文化が花開き、仏教が篤く保護され、多くの官立大寺院が建立されました。 そして、各霊山に伝わるの古代からの祀りも、仏教的に置き換えられてしまいます。 それは、白山も例外ではありませんでした。 時は、日本書紀編纂の時期にあたります。 抹消のターゲットにされたのは、白山瀬織津姫でした。 美濃国に伝わる「白山大鏡」には、白山地主神の第二子は、白山瀬織津姫であり、東方の異国を征伐すると記されています。 また、「白山大鏡」の補完史料とされる「白山禅頂御本地垂迹之由来伝記」には、次の様に記されています。 白山地主神の第一子は天照大神。 天照大神は、イザナギ尊とイザナミ尊の御子、一女三男の四神の第一男神。 一女は、蛭子の明神。 三男は、日神・天照大神宮、月神・スサノオ尊、月神・宇佐八幡宮。 瀬織津姫は、苦業の因を救う。 三途の河の大河を渡り、涅槃の岸に至るのを司る神。 古来、白山に祀られて来たのは、天照大神と瀬織津姫だったのです。 それは、男神としての天照大神と、女神の瀬織津姫の並祀です。 日の男神と、水の女神。 これが、日本書記編纂以前の祭祀形態だったのです。 それを、強制的に日の男神は、日の女神にされ、水の女神は、日の女神の荒魂となる以外は消されてしまいました。 伊勢神宮内宮の祭神、天照大神は、新しい女神。 そして荒祭宮の祭神、天照大神の荒魂は、瀬織津姫なのです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 25, 2008 02:44:51 AM
|