2017/02/26(日)11:08
3.ただの物理的な反射に過ぎない
小田原郊外山頂の新しい住処に移る前、
家に置いたままになっていた身の回りのものを引き上げるため、
私は妻のユズに電話を掛ける。
その時、最初のデートで私がスケッチした彼女の顔が話題に。
彼女は、素晴らしくよく描けていて、
ほんとの自分を見ているような気がする。
鏡で見る自分は、ただの物理的な反射に過ぎないと言う。
電話を終え、私は洗面所で鏡に映る自分を見る。
でもそこに映っている私の顔は、
どこかで二つに枝分かれしてしまった自分の、
仮想的な片割れに過ぎないように見えた。
そこにいるのは、私が選択しなかった方の自分だった。
それは物理的な反射ですらなかった。(p.56)
大学時代の友人・雨田政彦のボルボに乗って小田原へ。
著名な日本画家である彼の父・具彦が住んでいたのは、人里離れた山の中。
肖像画を描くことをやめた私は、雨田政彦の勧めで、
週に二日、小田原駅前のカルチャースクールの絵画教室で教え始めたのだった。
***
「鏡」についての部分は、難しいですね。
でも、このお話の根幹ともなる部分だと思います。
そして、この新しい住処で数カ月過ごした頃に、
「私」は、雨田具彦の作品『騎士団長殺し』を見つけるのです。