カテゴリ:しぇりのおしゃべり
先日、不幸がありました。
人の死というのが突然に来るとは分かっているし 老いた人がいつか死ぬというのは当たり前なんですが それでも変わらぬ時間が過ぎるという錯覚を抱いているようで 訃報が舞い込むと、驚きと虚脱、そして後悔の念が湧き上がります。 生前、直接の孫ではない私の事をとても気にかけてくれました。 「自分の孫がもう1人いると思えば」そう言って 随分と可愛がってもらいました。でも娘を出産後しばらくして 近しい人達を識別出来なくなったと聞き、そのままです。 折々に喜んでもらえそうな物を送ってはいたのですが 誰からなのか分からなかったかもしれません。 会いにいかない分、喜んでもらえそうだと思えることは 極力してきたつもりですが、それが相手やその家族に どう思われていたのかは分かりません。 告別式にも行けなかったので、弔電と一緒に花束を送りました。 故人が少しでも寂しくないようにという心配りのつもりですが 色々選んでいるうちに、参列出来ない後ろめたさを隠すようで 何とも言えない、嫌な気持ちで一杯になりました。 残された人が最後に出来ることは、相手を想う気持ちを もっと言葉や行動で、直接伝えられなかったのかと 後悔することだけなのかもしれません。 「今日が人生最期の一日」 そういう気概で毎日を生きることが出来ていたとしても やはり私は近しい人がいなくなる度に「もっと出来なかったか」と 故人の冥福を祈りつつ、後悔することでしょう。 こんな風にしか接することの出来なかった自分に 沢山の愛情をかけてくれたおばあちゃんへ心からの感謝を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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