カテゴリ:考えごと
最近、自分の中で、大きな心境の変化があった。
何かが事件があって変化した、というわけではなくて、 「あれ・・・?あれれ? これ、もしや前と変わってるんじゃ・・・?」 というかんじで、気づいたら、変わっていた。 そんな淡々とした変化だったけど、この変化は、 ちょっと前の私には、本当に考えられなかった位の変化なので、 ちょっと自分でもびっくりしてしまった。 その変化したある側面から見れば、 ちょっと前の私と、今の私は、まるで別人になっている。 たとえば、 好きで好きでたまらなかった人が、ある日気づいたら、 「なんであの人のことあんなに好きだったんだろう?」 と、自分でも、小首をかしげることがあるように。 自分の心すら、これほどまでに当てにならないものなのである。 ましてや、人の心をや。 私たちは、そういう変化の流れに飲まれることをよしとせず、 何とか流れの中に楔を打ち、立ち留まろうとし、 『絶対』とか『永遠』という約束をするけれど、 そんな私たちのちっぽけな努力は、 変化の流れの力には逆らえないのではなかろうか。 その流れはとてもとても強いから、私たちは、 どうしたって流れに巻き込まれていくのである。 もちろんその流れは、一気に楔を押し流すこともあれば、 少しずつ削っていくことも、 いつの間にか楔を差した地面ごと動かしていくこともあるだろう。 流されていることを、楔を指した人に気づかせないままに。 このように、変化の流れというものに、人はなかなか抗えるものではない。 変化していくのが当たり前だからこそ、大事なのは、 絶対とか永遠とかいった『ことがらが変わらないでいること』、ではない。 大事なのは、そのとき、そこで、絶対とか永遠とか 『打ちたてようと思った』という事実そのものである。 そのときに、 「この変化という流れに逆らってみよう、 深く深く楔を打ち込んで」 と思えたほどの、強い強い『思い』。 そのあと、どんなに自分が変わってしまっても、 他の人のほうが変わってしまっても、 その時『変わらないでいよう、変化に抗おう』とした気持ちは、 キラキラした思い出になる。 だから、『絶対』が果たされなかったといって、悲観的になる必要はない。 それは『流れに逆らうためのトレーニング』となり、 次の機会にもっと強く楔を打ち込むための力を与えてくれたのだから。 そして何より、私たちは、実際、 『絶対が実現すること』より、 『絶対に変わらないと思っていたことだって変わる』ということの方に、 救いや恩恵を受けているのであるから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 28, 2006 02:19:15 AM
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