|
テーマ:お勧めの本(7263)
カテゴリ:本・文章・詩・手紙
10時ごろかな、ねーちゃんのアパートにて
パソコン設置作業を終えて、帰ってくるときに雪が降っていました 関東でも最近はよく目にしますね 今日は久保田(千寿だけど)もらいました。 ひとりでは最近お酒を飲まなくなりましたが ちょぴっと飲もうかと思いますね。 ======== 昨日の夜に、「セックスボランティア」読み終わりました。 今日はその感想を少し書いてみようと思います。 この作品の構成で、一章から日本のセックスボランティア制度について 理解を深めつつ、障碍者がどのように扱われてきたかということが わかるようになっています。 そんで、途中から、性の先進国(?)では どのような運営をされているかということを紹介してくれています =========== この本を読んで少し考え方が変わったこと 変わるまではいかないけど改めて考えさせられたこと というのは、 ボクは女の人をお金で買うことを とても許されない行為と考え、すごくそこらへんは潔癖でした 例えば、自分の身の回りで 風俗店を利用するような人のことを とても嫌がっていました、心から軽蔑していました。 しかし、 純粋にHすることの大切さ、つまり精神的効用のようなもの もう一度考えてみることになりました。 そして、心を生かすと書いて性という字というくだりを見て 本来、人間は動物だし、動物学的に見たらとても重要なことだと あらためてHすることを柔軟に考えなくてはと思いました。 ========= でもね、本の中に登場する人たちをみると 単純に性の介助という風に割り切れないのが ホントに難しいところだと思います。 これは、女性に対する男性の性の介助を取り上げた章や オランダにある、ある市の性の介助支援費の実際を調べた際に インタビューした人の描写からも浮き彫りになっています。 障碍者が求めているのものが 恋愛やあったかく自分を委ねられる人を求めている場合と ただ行為を求めている場合 (この場合も上のものを完璧に望めないとあきらめてしまったがために 代償として、行為だけを求めているかのように見られる場合もあるが) のどちらなのかということが人によって違うということを考えなくてはならないです、 もちろん、ひとりでするわけではないので 介助する人の問題もあるわけです、 それが、女性に対する男性の介助者において見られました。 そして、その介助者の周囲の人の考え方というのも問題ですね。 ====== 筆者がオランダのルポで取り上げた 代理恋人療法というものも興味深いものでした 長期間の療法をして、 性の本質的な良さを伝えたり、障碍者の自信をつける セラピーというのはとても有効だと感じられました。 というのも、 セックスボランティアというのは身近なものでなくても いいのではないかと思うからです。 性を知らないままでは嫌だと考えるのがきっかけで 風俗店を利用するのが多くの利用者の経緯であるから 良さが分かったら、そのサービスを常習してその状況に依存することは 厳しく言うと、甘えにも似ているのかもしれません もちろん、障碍者の出会いの少なさや 付き合いを始めることの障碍の多さというのは ボクのはかりしれないものかもしれませんが、 それでも常習しても意味がないことのようにも思います。 ですから、セラピーというのは有効だと思います。 ======== 本来であれば、 自分のことも少し書くと 自分勝手な意見だと感じている人の理解も得られるかもしれませんが ちょっと身の回りの人が観ていることもあって ちょっとこの場ではできませんが、 この本を読んでこんなことを感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月10日 01時24分59秒
コメント(0) | コメントを書く
[本・文章・詩・手紙] カテゴリの最新記事
|