|
カテゴリ:文学やら音楽やら美術やら・・・
知ったかぶって、「三夕(さんせき)」などと
格調高い話をしたところ、 那由多さんから、現代語訳のリクエストがきました。 百人一首の87番目の句です。 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ 寂蓮法師 「かむ太郎の“現代語”解釈」 スコールみてぇな雨が、やっとやんで 「ひぇ~、すげえ雨やった。ズブ濡れやん。」 と愚痴をこぼしながら、ふと見ると まだ露で濡れているまきの葉に 周りを包むように、霧が立ち昇ってるやんか。 う~ん・・・ 秋の夕暮れの静寂ってのは、 俺みてぇな無粋者でさえ、 まるで「詩人」にでもなったかのような しみじみした気分にさせるんやなぁ。うんうん。 かむ太郎 リクエストの句を見た瞬間に 30年ほど前の事を思い出しました。 (以前にも書いたっけ?・・・ま、いいや。) 高校生の時の「古文」の授業で、 常々「不快」に思ってた事が有ります。 「次の句を“現代語”に訳せ。」 という設問です。 正解には、 「~であったことよ。」とか 「~であることよ。」とか 「~なことだ。」 などという、“気持ち悪い”言葉が大活躍です。 授業中に、 「では、次を読んで下さい。」 と指名されて 教科書に書いてあるこれらの文章を「読む」ぶんには 「ま、書いてある事をそのまま読むのは我慢しよう。」 と自分に言い聞かせていましたが、 「では、この句を“かむ太郎君の現代語”解釈で・・・」 などと指名された日にゃ、もうあきまへん。 日常使わない気持ち悪い言葉は一切使いません。 “現代語”で解答をしたとたんに 決まって、 「もう少し教科書を読んで下さい。」 ・・・べらんめぇ! こちとら、タダでさえ気持ち悪い言葉を回避しようと 少なくとも、他の生徒より沢山読み込んでるわい! ・・・という叫びを押し殺しながら耐えていました。 事件は、定期テストでおきました。 「次の句を現代語に訳せ!」 ふっふっふっ・・・来やがったな。 当然、私は“現代語”で解答をしました。 結果・・・ × 「なぜ、“×”ですか?せめて“△”でしょ?」 という抗議にも、「ノーコメント」でした。 これは、普段からの担当教師との「冷戦」を思えば 想定された結果ですので、甘受いたしました。 さて、次の試験です。 「次の句を現代語に訳せ」 私は、「模範解答」と「かむ太郎解答」の 2種類の解答を書きました。 そして、「裏面に続く」と書いて、 藁半紙(わらばんし:当時はこの紙が主流)の 裏面にぎっしりと、「かむ太郎の主張」を述べました。 (ほん・・・っとに、メンド臭い生徒です。) 結果は、やはり × ですが、裏面には、なんと「五重○」が大きく付いていました。 実は、最初のテストは、普段から「冷戦」状態の 教官が作成・採点したものです。 そして、2回目のテストは国語の学年主任が 作成・採点したものです。 (モチロン、試験前から調査済み) 職員室で、学年主任に「解説」してもらった内容は・・・ 「解答が、2つ(模範解答、かむ太郎解答)有ったので、 これはルール違反により“×”・・・OK?」 「裏面は、個人的な見解として“ついつい” でっかい五重○を付けたが、これは採点の範囲外。 従って、この五重○は、点数に加算されない。・・・OK?」 この解説には、納得せざるをえませんでした。 その後、この先生には、自宅へ招かれたり 職員室で、「安部公房vs大江健三郎」論議をしたり、 仲良くお付き合いさせていただきました。 (当時、私は安部公房の本ばかり読んでまして、 「知った事をすぐに誰かにひけらかしたい」 性分ですので、連日“しったかぶり”発揮です。) 種を明かせば、 五重○をくれた先生は、県下でも一目置かれる ちょっと変わった教師ですが、 この人の威厳やらオーラやらは特別で、 肩書きは無くとも、この人に逆らえる人は あんまりいないような人でした。 深く文学を愛し、その心を教えたい・・・という感じ。 かたや、私と「冷戦」状態に有った教師は 「点数至上主義」で、文学の香りとは無縁の人でした。 今でも、「百人一首」や「徒然草」など 身近に置いて、時々読んでいます。 あの時に、どちらの先生からも「ノーコメント」 を貫かれていたら、 「百人一首」や「徒然草」も、 私の手元には絶対に置かれていないでしょう。 高校生の時に、点数にはならない「五重○」を頂いた その時の設問が、 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ 寂蓮法師 です。 その時の2種類解答したうちの“模範解答”が、 「時雨が降りすぎて、その露がまだ乾かない槙の葉に 夕霧が立ち上って木々をつつんでゆく。 深い静寂の秋の夕暮れであることよ。」 というような感じです。 ↑気持ち悪~ こんな言い方するか!? そして、もうひとつの“かむ太郎訳”が、冒頭の スコールみてぇな雨が、やっとやんで 「ひぇ~、すげえ雨やった。ズブ濡れやん。」 と愚痴をこぼしながら、ふと見ると まだ露で濡れているまきの葉に 周りを包むように、霧が立ち昇ってるやんか。 う~ん・・・ 秋の夕暮れの静寂ってのは、 俺みてぇな無粋者でさえ、 まるで「詩人」にでもなったかのような しみじみした気分にさせるんやなぁ。うんうん。 です。 若かったですねぇ。うんうん。 PS:家庭教師をしている時は、 「如何に高得点を取らせるか」が任務でしたので、 “解答”には、へっちゃらで「~ことよ」 と書くように指導してました。 「気持ち悪い」と感じる生徒は、 今の所1人もいませんので、 機械的に「解答の仕方」を教えます。 その中で、大人になっても、古文を読んでる生徒は 残念ながら、1人もいません。 もっと、時間に余裕が有れば、古文の醍醐味も じっくりと教えてあげたいのですが・・・ 何せ、私のところに来る生徒は 「いよいよ崖っぷち」とか 「崖の上・・・ならまだマシ。既に落下しつつある。」 という時間的にも精神的にも余裕がない状態でしか来ません。 「いろいろやってみたけど、最後は藁をも掴む・・・」 そんな生徒(親?)ばかりです。 「高校1年生を、3年計画で、じっくりと指導してみたい。」 そんな願望を抱く 「駆け込み寺 かむ太郎」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月26日 16時05分23秒
[文学やら音楽やら美術やら・・・] カテゴリの最新記事
|