先日、
『東京で、外国人の外資系の証券マンとお付き合いをし、彼の帰国と
同時にふられてしまいました。』
というメールを、私書箱にいただいた。
(私書箱のほうにメールをいただいた方々、必ずお返事しますので、
しばしお待ちを。)
彼女のメールを読んで、やはり外資系証券マンは
今も昔も変わらないのだなと実感した。
いただいたメールのような件は、実によく聞く話だったからだ。
私の知る限り、外資系証券マンを射止めるのは、サラリーマンの中で
最難関な気がする。
実際、私もブランに出会う前にイギリス人の外資系証券マンと
付き合っていた。
フリーページの、
『ターゲットは欧米人男性』に書いたとおり、
そのイギリス人男性には、六本木のアマンドで、私が一人で友人を
待っている時に話しかけられた。
英系の証券会社で、株のセールスをしている男性だった。
1999年頃にアメリカを中心に起こった、ITバブルの影響で、
当時の証券会社は好景気に沸いていた。
彼の年収は、数千万円。日本に越してきたばかりの頃はレジデントホテルに
住んでいたが、すぐに広尾の家賃100万円のマンションに引越した。
5人家族が住むようなマンションに一人で住み、フィリピン人のメイドを
雇っていた。車を買ったにも関わらず、どこに行くのもタクシーでの
移動だった。
週に2回くらいは会っていたものの、さほど大事にされている感がなく、
ドタキャンも多かった。彼からしたら、私はシリアスな恋人ではなく、
単なるデートの相手、元彼女のリストの中にも入れてもらっていない
くらいの存在だったかもしれない。
『すごく愛されているという実感』があまり持てなかったり、
『ロングタームの付き合いになるであろう』予感がしなかった私は、
彼への気持ちが少しずつ離れていき、ブランに出会った直後、彼に
別れを告げた。
外資系証券会社でプロフェッショナル職に就く男性達は、だいたい職場
から徒歩で通えたり、タクシーで1メーターの距離にある高級マンション
に住んでいるが、毎朝5時台起床が当たり前、1日の労働時間は12-15時間
超が普通。企業の価値を計算して、買ったり売ったり、常に世界の資本
主義市場経済の鼓動が鳴り響くような職場で、ストレスを溜めまくり、
心のゆとりもない人が多い。
イギリス人証券マンとの仲が、半年経ってもあまり進展しなかった頃、
私は暇だった当時の会社を辞めて、もう少し仕事に生きようと(嘘)、
転職をした。
そこが、日本を離れる前の、私の最後の職場となった、米系の証券会社
(投資銀行)だった。
さて、私の話はおいておいて、肝心の皆様への
『
いい外資系証券マンの出会い方』
ですが、長くなってしまうので、別のページに書きます。
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