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カテゴリ:草哲学
一、主はいのちを 与えませり 主は血しおを ながしませり その死によりてぞ われは生きぬ われ何をなして 主にむくいし 二、主は御父(みちち)の もとをはなれ わびしき世に 住みたまえり かくもわがために さかえをすつ われは主のために なにをすてし 三、主はゆるしを いつくしみと すくいをもて くだりませり ゆたけきたまもの 身にぞあまる ただ身とたまとを ささげまつらん 私は無信教だけど、上記の賛美歌のように 神を思えるのなら、どれ程安穏だろうか。 私にはまねる事が出来ないのは 無用な分別がついたからなのか? いや、僕も「神」を信じてる。 それはキリストじゃないけれど 「神」はいると信じてる。 だけど、その「神」は 僕に安穏を与えてはくれない。 でも、それが本当の「神」なんだ。 本当の「神」は、 人間にとって都合の良い神ではない。 神に祈る事で得る安穏は 自分が作り出してる 影のようなものだからだ。 その意味で宗教は宇宙より小さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 20, 2006 01:24:02 PM
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