館蔵図書の中から・2 “1600万年の旅”
博物館のバックヤードの書棚に架蔵されている1冊です。津具金山に関係した書架に置かれていたのですが、『奥三河 1600万年の旅』というすごいタイトル、サブタイトルは「設楽盆地の自然と人びとの暮らし」となっていたました。その大きな書名に惹かれつつ、なぜこの本がここにあるのかしらと手に取ったしだいです。 答えからはいりますと、やはり津具金山のある、愛知県の設楽盆地の地質についてがメインの本です。植物やここの自然に結びついた歴史にも話がひろがってとても読みやすい内容となっていました。 副題の中にある「自然と人びとの暮らし」は、当ブログの金山博物館の情報発信を博物館のまわりの自然観察などを合わせて紹介しているコンセプトと、ぴったり一致している点もいいな、と。 そんなこの本の中で、ちょっと抜き書きしたい部分がありました。次にのせます。 長篠城は、東・南・西が深い谷になっており、緑色片岩の急崖が切り立っています。(略)信玄は金山をよく開発したことで知られていますが、この時も金掘り師をつれてきてトンネルを掘ろうとしたという話が残っています。しかしこの策も地質的な理由で不可能であろうと思います。(略)精鋭の武田軍が城攻めに失敗した原因の何割かはこの城の建てられていた緑色片岩という岩石のせいもあったのではないでしょうか。(略) 天正3年5月21日早暁、戦いの火蓋は切って落とされました。勇猛をもって知られた武田軍1万5千騎も鉄砲の前には歯が立たず、ついに、この日の夕刻までにさんざんに打ち破られて、大将勝頼は甲州へ落ちのびてゆきました。 そうです、この設楽盆地の中にあの長篠の戦いの舞台もあったのです。もう少しおもしろい伝説のことを引用します。 この(長篠の戦いの)前日の夜、医王寺の一室で、明日の戦いの成否を思いめぐらしてなかなか寝付かれなかった勝頼がやっとうとうとしかけた時のことです。ふと物の気配を感じて目をあけますと、枕元に、どこから入ってきたのか、白髪の老人が音も無く立っております。はっとして勝頼が起きあがろうとすると、老人は手で制してこういいました。 「明日の戦は不利じゃ、無謀な戦はやめて甲州へ帰るがよい。」 これを聞いた勝頼は己をあなどられたと思い、烈火のごとく怒ると、枕元においてあった太刀をとるが早いか抜く手もみせずに老人の肩口に切りつけました。すると老人の姿はふっとかき消すように見えなくなり、あとには、裏の小川のせせらぎの音のみが聞こえていました。 翌日、弥陀の池(注:医王寺境内の池)の葦を見ると葦の葉がすべて片葉になっていました。この話を伝え聞いた人々は、白髪の老人は、葦の精だったのであろうと、うわさしたということです。 長々と引用してしまいましたが、勝頼の人となりがどう見られていたのか、その一面を伝えているように受けとめられました。この中で“片葉の葦”とは、アシの茎の一方向だけに葉がつく、当地にとくに見られる現象を指しているものでした。 本書はこのように、地質構造から植物や歴史物語まで楽しめる一書でありました。著者の横山良哲さんは、なんと医王寺のお坊さんであり、高校で生物を教えてこられたり、鳳来寺山自然科学博物館館長をなさったりされた方でありました。また版元の風媒社は、名古屋にある人文社会書籍を扱う出版社で、この本はそこから1987年に刊行されているものでした。