仮想CAFE (昔の客)
気がつくと、道路沿いに積もっていた雪の残骸が、解け始め、車から吐き出される排ガスが白い雪を黒っぽく変色させていた。 体調が優れないほかに、アルバイトのK@さんにも店を去られた。 店は昼間のみの営業にしばらく切り替えた。 まずは体調を整えるのが優先だ。 最近はツイていない。 咳き込みながら、開店前なので、カウンターを拭いた。 入り口からのぞく小さな窓から見覚えのある顔が見えた。 「タカシか?」 「久しぶり マスター!」 かれこれ10年ぶりのお客様である。 タカシは、学生時代からこの店へ通っていた。 始めてこの店に来たときは、無口で地味なさえない子だなと感じていた。 話しかけてみるとやはりボソボソとした調子の話し方で、不器用さが目立つ印象であった。 それでも少しずつ打ち解けてくると、時折大きな体に似合わない可愛らしい笑い方をした。 学生時代は、この店へきても、誰かと話し込むこともなく、淡々と注文をし、エラリークイーンの単行本を読み続けていた。 やがて社会人になってから店に現れた時は、別人のように、スマートな話口調になり、明るい色のスーツも軽やかに着こなしていた。 聞くところによると、広告代理店へ就職したようである。 学生時代、一度も彼女を連れてきたことのないタカシだったが、いろんな女の子を店へ連れてくるようになった。 人はどんどん成長していくのだなと、カウンター越しに見ていた。 「マスター! ごぶさただね。」 本当に10年ぶりくらいの再会であった。 「どうだ。 仕事は順調か?」 私は思い切って聞いてみた。 「まあね。 でも広告会社は辞めるんだ。」 「えっ? そうなんだ」 「オレさあ、思い切ってどこか南の島でしばらく暮らそうと思ってさ。」 「ほう・・」 広告会社での自分は本当の自分ではないこと。 都市での生活にも疲れたとのこと・・ ゆっくり誰にもじゃまされず推理小説を読みたいとのこと・・ タカシは淡々と話してくれた。 最後に懐かしくなってこの店へ寄ったのだそうだ。 「そうだ。 旅立ちのコーヒー煎れて下さいよ。」 「はいよ。」 やはり、タカシは始めてあった時のタカシだった。 不器用でまっすぐな男。 嘘のつけないところも変わらない。 またそのうち、忘れた頃にやってくるに違いない。 私は、いれ立ての濃い香りのコーヒーを彼の前へゆっくりと運んだ。 彼の手には、あの時と同じエラリークイーンの単行本が在った。 本日のBGM sam cooke「wonderful world」