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カテゴリ:愛すべき仲間たち。
結婚して3年目にようやく妊娠。
共働き生活は当たり前だったけれど、 そこに子どもが誕生すればどういうことになるのか については、まだまだ現実感の伴わない 課題だった。 それが、妊娠する1年前に 世の中では育児休業制度に向けて動き出し、 取得者に取材を行ったり、 すでに育児も仕事も両立させていた 大先輩たちにもインタビューした。 それは、ただ漠然と いつか子どもを生むことになるんだろうと 他人事のように構えていた私に 現実を思い知らせるには充分だった。 先に実態を知っているというのは、 有利だ。 特に企業を通じて依頼した取材の場合には、 活用して成功している人々と出会うことになるから、 成功させるためのコツまで知ることが出来る。 仕事をしている間に わが子の面倒を見てくれる親代わりを確保すること。 いつ何が起きるか分からないのだから、 親代わりは保育所だけじゃなく、 ベビーシッターや自分の親、親戚、友人、知人、 なんでも利用出来そうな人材を確保しておくことだ。 まあ、そのようにして現実を迎え入れる準備を シミュレーションすることが出来た。 はなから「育児だけじゃない私の暮らし」を 想定していたのだから、 「育児だけで苦しい私」の存在は、 私の中には想定されていなかったとしても あの時点では致し方なかっただろう。 それにね、 自分自身が社会とダイレクトにつながっていない という状態も想像出来なかった。 家庭に入ってしまうということは 社会との接点を切ってしまうことだろうから、 誰が社会と自分とをつないでくれるのだろうか? 夫? それだけじゃ絶対に物足りない。 わが子が生まれて、 初めて地域社会を意識した。 同じ月齢くらいの子どもとその親御さんとの出会いが、 私にとっての 再びの地域社会デビューだった。 子どもの頃は地域の人々に囲まれて暮らしていたが、 思春期に突入した辺りから、 だんだん地域が疎ましくなって行く。 見知らぬ土地で一人暮らしを始めたら、 もう、地域との接点は無くなってしまったし。 以降、子どもが生まれるまで 住んでいる場所=地元との接点は切れたままだった。 たまたま結婚した相手の実家が マンションに立て替えたばかりだったことと、 その建物内で夫が事業を始めたことから、 そこに住むことになったまで。 思い入れのない地域での暮らしは、 日常の買い物でさえ、地元ではなく 通い慣れた都心で行われてしまう。 今でこそ、地元スーパーに熟知しているけれど、 当時はねぎ1本買うことさえなかった。 買い物についても、 地元を利用せざるを得なくなって行ったのは わが子が生まれてからのこと。 どこで何を手に入れるのか、 まずは、買い物マップを頭に叩き込むところから、 子どものとの暮らしが始まった。 必要なものを求めて、地元だけではなく 通い慣れた都心はもとより、 横浜までへも出かけて行く。 そこのところは、元々培われた行動パターン。 「子どもが小さいから、 遠くに出かけることなんて考えられない」 なんていう言葉は、私の中にはなかった。 目的に合わせた自分だけのマップが いくつも出来上がって行く。 それは、それまでにも 当たり前のように行って来たことだから、 誰もが同じようにマップを積み上げて行っているものだ と思っていたのだ。 まさか、今頃になってそれが 人様に売れるようなものになるなんてね。 だから、情報誌を作るときにも、 子どもとの暮らしに必要なテーマを絞って、 そこに地域情報を織り込んで行く というアプローチを考えたのだった。 だって、子どもとの暮らしに必要な知識は どこへ行っても不変=普遍的なものだから、 それをベースに現実の地域での暮らしとつなげて行けば、 より実用的な内容になるだろうと、 そこのところは確信に近いものがあったから。 本文を地元の当事者たちの座談会や 彼女たちへの取材で固め、 資料として地元の関連情報をちりばめていく。 この方法で発行されていった情報誌は ささやかなものではあったけれど、 きちんと受け取ってもらえた。 この方法でよいのだと、伝わるのだと 嬉しかった。 もっとも、編集委員として参加してくれた当事者たちは ショップを紹介するようなマップが作りたかったらしい。 でも、悪いけれど、 紹介したくなるショップ、 あんまり地元にはなかったんだよね。 って、これは私の個人的な趣味の話だけれど。 子どもとの暮らしに 必要不可欠な生活情報は網羅したい。 ただし、日常のお買い物は別。 買い物なら、自分たちの趣味で探してくれ。 そんなことが知りたい訳じゃないでしょ。 本当は子どもと過ごせる居場所だったり、 自分自身も仲間と出会える場所だったり、 いざというときに、どこへ相談すればいいのか、 何をどうすればいいのか、 というような困りごと解決への手がかりだったり。 それは、簡単に手に入りそうで手に入らない。 またまだそういう状況だよね。 後に単なる広報誌に変わってしまうのだけれど、 当時の情報誌は、 子ども関連施設を名乗るのなら、 地元情報としてこれくらいは押さえておきたい という情報を集めて掲載していくことも 目的の一つに据えていたのだ。 施設の目的を伝えていくという広報のやり方。 単なる広報誌じゃなくて、啓発も兼ねていた。 啓発という部分が、 当事者発の情報誌では難しいところかもしれないね。 おうちでパーティーを開く、 集会所などを借りてパーティーを開く、 同好の士を集めてサークルを作る……。 こういう企画もあったけれど、 着手する前に情報誌時代は終わってしまったのだった。 そして、私の頭の中には かなり詳しい地域情報とマップが、 そして人材情報が残った。 かつて私を育ててくださった 地域社会のみなさま。 ご恩返しは済んだでしょうか? それとも、まだまだ、なのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.15 10:11:22
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