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カテゴリ:つながるいのち。
今年で七回忌を迎える夫の大伯母には、
子どもがいなかった。 それなりに由緒ある家柄だったので、 万が一跡取りが生まれなかったときに備え、 そのようなときには、お互いの家から養子を取り合い、 家の断絶を防ごうと 同じような役職で縁の深い某家と盟約を交わしていた。 が、戦前ならいざ知らず、 現代では、そのようなことはままならず、 結果、家を継ぐ者は誰もいなくなってしまった。 家を継ぐことは出来なかったが、 自分が元気なうちはちゃんと墓守をするよと 殊勝なことを申し出た青年がいた。 青年の祖母は大伯母の姉に当たる。 姉一家と大伯母の家は頻繁に行き来があり、 青年も幼少の頃から、大伯母の家をよく訪れており、 盟約を交わした一族とは縁もゆかりもなかったが、 血のつながった青年のことを、 大伯母はことのほか気に入りかわいがっていた。 その青年とは私の夫のことだ。 仕事の関係で、毎月のように仙台を訪れるようになり、 大伯母に頼まれて、菩提寺との連絡係を買って出た。 その流れで、大伯母に墓守を託されることとなった。 何よりお風呂が大好きな人で、 入浴中に脳出血を起こして亡くなった。 変死扱いで、 検死のために遺体を警察に預ける一幕もあったが、 大好きなお風呂の中でなくなるなんて、 ご本人にとっては、幸せなことだったかもしれない。 苦しむこともなかったようだ。 故人の遺志により、葬儀の喪主は夫が務めた。 以来、法事のたびに私たちは 仙台の菩提寺へ赴く。 今回は私の母にも声をかけた。 法事に列席願いたいということよりも、 母を秋保温泉に連れて行きたかったことが 大きい。 大伯母には申し訳ないけれど、 母が快く申し出を受けてくれたことで、 喜んでくれたのではないかとも思う。 天気予報に反して、土日は晴れ、 とても暖かい週末だった。 「これも千の風が吹いたおかげよね」 みんなでうなずきあった。 次は6年後。 娘は成人して、すっかりおとなになっているだろう。 もう一緒に来てもらえないかもしれない。 今年な法事の当たり年。 6月に夫の母の三回忌、 11月には私の父の五年祭。 故人を偲ぶ一年と言えるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.17 20:55:14
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