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2008.09.29
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おとなの読書会と勉強会のダブルヘッダー。

困ったことに、読書会の課題図書
「クマのプーさん」を今日になって、
あわてて読み始める始末。

10年前だったか、娘のためにと購入した
「クマのプーさん全集」(岩波書店)。

オールカラーで、関連イラストもすべて収録。
石井桃子さんの訳による
「クマのプーさん」と「プー横丁にたった家」、
小田島雄志氏と小田島若子氏の訳による詩集
「クリストファー・ロビンのうた」と
「クマのプーさんとぼく」。

読みながら、イギリス土産にいただいた
クマのプーさんとクリストファー・ロビンの
イラスト付きTシャツの絵柄を発見。

北極へ探検に行くんだ!と、長靴をはく
クリストファー・ロビンの背中にもたれるプー。

このTシャツを読書会に持参しようかと思ったが、
雑事などに追われて、
Tシャツはおろか、腕時計を忘れたまま
家を飛び出る。

子どもの目線で書かれたストーリーは、
学校教育に染まる前の、
人形も草も木もみんな、いのちがあって同等
というやわらかな感性で描かれている。

読みながら、
「ああ、この部分は英語で何と書かれていたのだろう」
と気になって仕方がない。
時間があれば、原書にあたりたいと切実に願う。

特に大好きなクリストファー・ロビンの台詞。
プーさんへの愛情たっぷりな
「ばっかなクマのやつ!」の原語が気になる。

それは、会場でもある絵本屋さん秘蔵の原書で
明らかにされた。
「Silly old bear!」

おお、これを「ばっかなクマのやつ!」と……。

石井桃子さんのセンスのよさに
メンバーで盛り上がる。

言葉を獲得し始めた頃の、子どもの不思議な言い回し。

あるがままを受け止めて、あるがままに在ること。
寄り添いながら、静かに深まる友情。

窮地に立たされた友、コブタを救おうと
あらゆる知恵を総動員するプーを前に、
クリストファー・ロビンは
「これが、ぼくのかわいがっていた、
 あの頭のわるいクマなのか?」と圧倒される。

このくだり、一番好きかもしれない。

次の予定があるために、楽しい読書の時間は、
私ひとりだけ時間切れで切り上げて、
後ろ髪を引かれる思いで会場をあとにする。

移動中に手にした本は「子どもの場所から」
(小沢牧子・著/小澤昔ばなし研究所・刊)。

「子育て」という言葉に違和感を持ち、
子どものペースに合わせ、
子どもの意欲に寄り添うようにと説く。

目を見開いて、ひたすら凝視する赤ちゃん。

それは、自分の世界をじっくりと観察し、
感じ取ろうという意欲に満ちている。

それなのに、無理矢理あやし、
手を替え品を替え刺激を与え、
じっくりと味わうことを邪魔するばかりの
おとなたち。

心理学の現場を通して、心理学に疑問を持ち、
現代社会における心理学の役割を問い直し
考察する仕事を続ける著者ならではの視点。

次の勉強会では、
ネパールの子どもたちの輝く瞳に魅せられて、
仕事を辞めて飛び込んだ保育士の
「ともに生きること」から学んだ
「保育の原点」がテーマ。

ヒマラヤの山々に囲まれた小さな村の子どもたち。

幼い頃から子どもの群れの中で育ち、
その発達に合わせた仕事を担いながら、
村の働き手として成長していく。

もちろんおもちゃも絵本もない。
それでも、道具を駆使してビー玉やさいころを作る。

自分のおもちゃは自分で作る。

村に生まれた赤ちゃんは、生後1カ月にして
かごの中に入れられ、畑に出る。
身の回りのことは、子どもたちが世話をする。
動けるようになれば、遊びも共にする。

3、4歳頃から腰に付けたカマが彼らの道具。

7、8歳にもなれば、もう村の働き手のひとりとして、
ヤギ追いや畑仕事、草刈りなどに精を出す。

おとなたちは、子どもたちに仕事の責任を課すが、
あとは放任。
子どもは、仕事をやり遂げるという責任の果たし方で
何度も失敗しながら熟練に向かう。

失敗しても誰も責めない。
その代わり、何があった?とおとなが訊ね、
自らの失敗を報告、笑われるうちに
自分も笑って、後に残さない。

誰も他者と本人を比較しない。
比較するのは本人の昨日と今日と明日。
できなかったことができるようになる喜びだけ。

生きるために精一杯。
生きる喜びに溢れている。

それは、クマのプーが
朝起きたら、まず朝ご飯は何を食べようかと考え、
コブタは、きょうはどんなすばらしいことがあるかな?
ということに思いをめぐらせることと
「おなじことだね」。(クマのプーさんより)

お話をしてくださった保育士さんは
「命を守る感性がとぎすまされている」ので、
「私自身の眠っていた感性が揺り起こされる」と。

人が自ら生きようとすること。
生きるため、命を守るために、人と人とが支え合う。

自然との共存の仕方にもそれは現れていて、
必要な分だけを獲り、食し、
花ひとつとっても根絶やしにするようなとり方はしない。

カッコ付けて虚勢を張るのではなく、
鎧をまとうのでもなく、
喜怒哀楽をさらけ出すことで、
お互いをわかり合いながら手をつなぐ。

そうした人間関係に、居心地のよさを感じる。

確かに先進国の大都市のような便利さも
物質的な豊かさとも縁遠い。
けれども、だからといって
この地に住む子どもたちに都会並みの教育が、
必要とされているのだろうか?

この地に生まれ、この地に生き、
この地で死ぬ彼らには、
今持っているもので充分なのではないか。

「支援は子育てに似ている」
この地で支援活動を行う日本人の言葉だ。

こちらの勝手な思い込みで施すのではなく、
その人が自ら望むこと、求めるものに手を差し伸べる。

それこそが、本当の支援。

元教師だったという読書会のメンバーの言葉。
「子どもたちの感性をことごとく潰していくのが
 学校教育。
 いくつも感性を潰してきてしまった……」

覚え書きのように書き連ねてしまったけれど、
現在の教育に対する疑問への答えが、
今日一日で、かなり明らかになってような気がする。





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Last updated  2008.09.30 01:06:45
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