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カテゴリ:きょうのより道
朝早く、高校時代の友人と富士急ハイランドに行くため、
娘が出かけて行った。 渋滞が予想されるというのに、安上がりだからと バスで行くらしい。 しばらくぶりの休日だから、楽しんで来てね。 おとなたちは映画を観に行く予定。 で、候補作のひとつで検索をかけ、 上映館のラインナップを見てみる。 おお、あった、あった。 夫にも向きそうな、見たい映画リストの一作が。 米アカデミー賞6部門に輝いた問題作「The Hurt Locker」。 イラクにおける米軍兵士の戦士の最大の理由が“爆弾”であり、 その爆発物処理が、最大の課題となっているのだそうだ。 で、この映画は、爆発物処理班の5つのエピソードで綴られている。 冒頭、「戦争は麻薬」という言葉が紹介される。 非常に高い緊張状態が続くと、 人は、そうした状態が忘れられなくなり、 もっともっとと望むようになる。 言うまでもなく、 爆発物処理に携わる兵士の死亡率は、 ほかの兵士よりも遥かに高い。 映画の初めでも、いきなり処理班の班長が 爆風をもろに受けて死亡する。 爆発物に近寄るときに必ず着用する防爆服は、 マンガ雑誌くらいの厚さがあり、ほおの近くまで覆う。 頭部には見るからに分厚く頑丈そうなヘルメット。 それでも爆弾の殺傷能力は凄まじく、 よほど遠くへ逃げなければ、命を落とすのだ。 戦死した班長の後任としてやってきたのが 800個以上もの爆弾を処理して来たという 超ベテランのジェームズ軍曹。 彼をサポートするのが、 サンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵。 チームの固い連携により、 どこから砲弾や銃弾が飛んで来るか判らない 街路や砂漠での爆発物処理が完遂される。 厳しいルールがあるにもかかわらず、 単独で、どんどん処理を進めてしまうジェームズ。 いきなり車が炎上、緊迫した現場では 「どうせなら気持ちよく死にたい」と 防爆服を脱いで作業を始める。 執拗に起爆装置を追い求め、ついには処理に成功、 感激した上官が、賞賛の声をかけに現れる。 その一方で、「彼と一緒にいたら、必ず死ぬ」と、 サンボーンとエルドリッジは、徐々に不信感を募らせていく。 爆発物処理を楽しんでいるかのような行動をとる ジェームズだけれど、 基地内でDVDを売るイラク人少年をかわいがる一面もある。 ある現場で、爆弾を埋め込まれたとおぼしき少年の遺体を発見、 ジェームズは、思わず知り合いの少年だと思い込み、 激しく動揺する。 その直後、エルドリッジを気遣って同行した軍医が テロリストが仕掛けた爆弾によって 跡形もなく爆死、エルドリッジは激しく取り乱す。 遺体は知り合いの少年ではなかったが、 動揺したジェームズの誤った判断で エルドリッジは重傷を負い、戦列を離れる。 任務明けまであと2日となったある日、 体中に爆弾を巻かれたというイラク人が町に現れ、 ジェームズとサンボーンは現地に向かう。 が、爆弾には頑丈な鍵がかけられ、 おまけにタイマーがついており、残り時間はあと2分。 ぎりぎりまで処理を試みるが、最後は 謝りながらその場から駆け出すジェームズ。 防爆服のおかげで、かろうじて生き延びる。 休暇に入り、家族とスーパーマーケットで買い物。 「シリアルを買って」と頼まれ、 シリアル売り場へ行くものの、 山のようにあるシリアルの棚を前にして、 どれを選べばよいのか、ジェームズには決められない。 その夜、小さな息子に、そっと打ち明ける。 「おとなになると、好きなものは1つか2つしか決められない。 俺の場合は1つだけだ」 ジェームズは再び戦地に到着。 輸送ヘリから降り立った彼は、足取り軽く基地に向かう。 例によって、カメラワークが秀逸。 爆発の凄まじさをあらゆる表現で示しているだけでなく、 爆発物処理に携わる人々の気持ちを カメラの視点を変えていくことで、よりリアルに伝えている。 このところ、何とはなしに気にかけているのは こうしたカメラワークによる表現だ。 ドキュメンタリー、ドラマ、エンターテイメントなどなど。 子どものころと比べると、 随分といろいろな手法が試されて来たなあと、 ちょっとだけ、生意気なことを思っている。 夫の感想はふたつ。 「思ったよりも血が流れなかったね」 粉々になってしまうか、信管を抜かれるかだったからね。 「なぜ、この映画が アカデミー賞を獲れたんだろう?」 多分、オバマ氏が大統領になったから? イラク戦争については、 勃発のきっかけから現在に至る諸々まで、 戦場に駆り出される 貧困層の青年たちのあまりに救いのない実情、 戦争ビジネスと揶揄される経済活動などなど、 さまざまな角度からの非難が相次いでいる。 が、戦争そのものを提示して、 イラク戦争が抱える問題点を淡々と描いたという点で、 評価されたんじゃないかなあ、という気がしている。 日本人としては 「戦争の悲惨さ、恐ろしさは、 人々の精神をここまで蝕んでいくことにもあるのね」 と上から目線で語ることも出来るけれど、 アメリカ人が、こうした映画を評価する、 おおっぴらに評価出来るようになったことに、 日本人としては少なからず驚くとともに、 改めて、アメリカ人の一種健全な部分を垣間見た感もある。 それにしても、平和な国の国民のひとりとしては、 のんびりと街を歩いて帰宅したあとに、 昨日植えたばかりのきゅうりに花が咲いていたり、 小さな実がなっていたりすることに、 いちいちテキストを読みながらあたふた。 平和な国だけじゃなくて、町育ちで、 もの知らずで、いかんなあというのが、 最も正直な“我が家の真実”かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.04 00:18:15
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