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カテゴリ:つながるいのち。
問題なく生きていれば、
特に気にかけることなく暮らしていけるけれど、 ひとたび問題の当事者、関係者となれば、 否応無しに巻き込まれていくことって 実にたくさんあるなあ。 別に知らなくても生きていけるけれど、 場合によっては知らなくてはならないこと。 それも、深く理解しておかないと困難を来すことに、 ぶち当たるのも人生。 完璧な人生なんてものが本当にあるのかどうか。 まして、完璧な人間なんて、実在するんだろうか? 人のDNAの組み合わせは多様であって、 染色体の並び順こそ決まっているものの、 そこに異常が見られても、 人体にどのような障害が及ぶのかについては、 まだまだ未知の部分が多い というようなことは、確か 福岡伸一さんの「できそこないの男たち」(光文社新書)に 書いてあったように記憶する。 それでなくても、受精卵が問題なく細胞分裂を繰り返し、 器官形成がなされていくことが、 どれほど奇跡的なことなのか、 実は知らないよりも、知っていたほうが 気を楽にして生きていけると思うことがある。 いきなりややこしいことを書いたのは、 出産をひかえた若い友人のお腹の中のお子様のことがあるから。 例によって、いろいろ調べてみると、 同じケースにぶち当たった親御さんたちの書き込みが連なる ある掲示板に行き当たった。 よく知られている異常もあるけれど、 詳しく見てみれば、大きなカテゴリーのようなもので、 ひとり一人微妙に違うようだ。 さらに詳しく調べてみれば、 DNAの組み合わせが無限に近いのと同じく、 わが子に起きている異常と同じ異常を発現した よそのお子様に出会うことは、まず稀らしい。 そうね、未熟児と一口に言っても、 それぞれに及ぶ影響はさまざまだものね。 それと同じなんだよね。 ウイルスのように単純な構造の生物なら、 遺伝子転写も間違うことなく簡単に完了? いや、それでも突然変異は起こる。 ましてヒトのように複雑な構造であれば、 どこかに変異が起きていても、おかしくないのかも。 と思っちゃダメ? 案外、誰もがどこかに変異や異常を持っていて、 それが重篤な意味を持っていないというだけなのかもしれない。 そう考えると、 命というものは、ハンドルの遊びに当たる部分に 大きく幅をもたせているんだなあ。 問題は、命に関わる重大な部分に変異や異常が起こること。 多くの人々に、そういう事態は起こらないけれど、 稀に起こることがあるってことは、 多分知らないよりも知っておいたほうがよいんだ。 もし自分の大切な人に、そんな事態が訪れたとき、 さて、どう対処するんだろう? ここにも正解はない。 すべてを受け入れる覚悟は出来ても、 完璧な答えはないんだ。 病床にある父を思いながら暮らしていたとき、 どんな状態であろうが、ともかく生き続けていて欲しい と願っていた。 それは家族としての私の気持ちで、 父の意思とは別だ。 ただし、そうやってお互いを思いやることで、 私たちは確かに家族だった。 これから生まれ出ようとしている命だって、 その存在が確認されたときから すでに家族なんだよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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