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カテゴリ:映画
あっ、これは、先週の「チェ28歳の革命」の続編、「チェ39歳の別れの手紙」のお話です。 この間の日曜に、川崎のチネチッタで観ました。2月1日、おりしも、「毎月、1日は映画の日」で、入場料は1,000円。通常が1,800円だから、この割引は大きいよね。1食分に相当するし・・・。 ==閑話休題== で、この手紙は、次のように結ばれている。 「もし私が、異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向かうだろう、とりわけ君に」。 この、穏やかな語りかけに、「革命家としてしか生きていけない男の潔さ」と、その裏にある、「キューバへの未練」を感じるのは、ワタクシだけではないだろう。 もしかすると、翻訳のトリックがあるのかもしれないが、それでも良い。ワタクシは、おもいっきり、この手紙に感動することとしよう。 そもそも、この映画には、前編と同様、涙腺を刺激する場面はほとんどないのだが、この手紙とラストシーン(ゲバラ銃殺され担架で搬送される)は、希少な感動場面。無念の最期に感動していただきたい。 3年前のモーターサイクル・ダイアリーズ、前編の「チェ28才の革命」、そしてこの「チェ39才の・・・」で、ゲバラの青年期以後の生涯が綴られたわけで、制作者は、ウォルター・サレス、スティーヴン・ソダーバーグ と、同じ監督ではないが、それほどの不連続感や違和感を覚えること無く、チェ・ゲバラという男のこころの中が感じ取れたような気がする、書物を読んでいるときとは別の主観で。 むろん、映画には描かれていない、暗部も数多くあるだろうが、いずれにしても、ゲバラはそれらを克服し、純粋で完ぺきな革命家の人生をまっとうしたのだ と信じることにする。 暗部と言えば、ゲバラを死に追いやったCIAは、あの時代が「東西冷戦時代」だったことを考慮しても、薄気味悪い存在だ。金持ちが高級車を乗り回しノー天気な生活を謳歌する一方で、人種差別に何のためらいもなかったアメリカの社会の背面には、CIAあり・・・だったのである。 一生懸命働いて得た富で、豊かな人生を送る・・・それはそれでよいだろう。だが、何のために働くのか、の答えが「豊かな生活のため」あるいは「金のため」というだけでは、なんとも虚しい。 豊かな生活を享受していようが、あるいは、貧困に喘いでいようが、その根底に「何のために生きているのか」という問いかけとそれへの答えがないと、与えられた人生をまっとうすることなどできない、とワタクシは思う。 そして、「ゲバラの人生の源泉は、限りなく打算のない愛だった」と思うのは、ワタクシだけではないはずだ。 もしかすると、日本の伝記物の代表格である 二宮金次郎 の勤勉さの根源も 愛だったのかもしれない。 また、架空の人物だが、おしん もそうだったのかも。いや、きっとそうに違いない。 それほど関係はなく重要なことでもないが、そのむかし、アレルギーが強くてすぐジンマシン発症するという病弱な身体にもかかわらず、朝から晩まで機械のように働き続ける健気な少女を描いた「ましん」という漫画があったのを、なぜか連想してしまった。 仏舎利湖(ぷっしゃりこ)に生息する恐竜(その名もズバリ、プッシー)が主人公の漫画 「野ざらし」(by山上たつひこ) が人気だった時代の漫画である。 オバマの就任演説にあった、greed and irresponsibilityな奴等って、無原理・無原則に、お金に執着し続ける人たちなのだが、金のことしか考えていないくせに、やたらと、フリーダムを叫ぶのだから、救いようがない。弱者を獲物にして莫大な金を稼ぐのも、シーオーツーを垂れ流すのも、はたまた、銃を持つのもフリーダムなのか。 そして、アメリカにはこのタグイの人口が多すぎるような気がする・・・ っと、いけない、いけない。話がどんどんと、違う方向に向かい始めた。 で話を戻します。「比較的リアルタイムで、若い時期にゲバラを愛することができた我々の年代は、幸せだった。」というのが、きょうの日記のコンクルージョンです。 最後に、 忙しい時に映画に付き合ってくれたYanaちゃん。どうもありがとう。いろいろと気を使わせてごめん。 これに懲りずに、また、付き合ってください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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