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文の文

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10・長部日出男さん

有楽町で逢いました・10

長部日出男さん

NHK教育テレビで「太宰」について語る長部さんを見たとき
なんとひたむきなひとなのだろう、と思った。

その画面では肉付きと血色のよい初老の男性が
体の内側から尽きることなく湧き出てくる郷土の先輩作家に対する憧れを
調べ上げた事柄を絡めながら、さまざまな熱い言葉に乗せて、
真摯に真っ向から、いくらか東北のイントネーションで、力強く語っていた。
語るうちに体温がいくらか上昇するようなそんな熱の込め方が好ましかった。
そのよきおひとがらまでしのばれる語り口であった。

今回も長部さんは「太宰治と三鷹」について丁寧に熱を込めて語られた。
太宰作品は、青春のある時期、熱狂的に読み込まれる、
いわばはしかのようなもの、とよく言われるが
この講演の熱をじかに感じてみると
昭和9年生まれの長部さんのはしかはまだまだ重症のようにもおもわれる。

「1939年太宰は東京女子高等学校(現・お茶ノ水女子大)卒の
石原美知子さんと再婚した」と長部さんは話し始めた。

この美知子さんはシューベルトと同じ1月30日生まれで
うちの次男と同じ誕生日なのでちょっと驚く。

「中期太宰作品は美知子さんに口述筆記する形で生まれ出た。
美知子さんという最初で最高の読者を得たことで
太宰の「語り」の文体の洗練度が上がった。
初期の作品群とくらべると画然とした変化だった。

夫婦は、農村から近郊都市へ変貌をとげた三鷹の
下連雀のわずか12坪の小さな借家に引っ越した。
この住まいで口述筆記をしながら、
美知子さんはよどみなく言葉にされた太宰の文章に畏れを感じたのだった。
口述された時には、磨きに磨き上げた文章になっていた。
 
口語性は太宰の持ち味である。擬声語擬態語、七五調もその特色である。
『語り』とは自分の目と心に映った世界と人間を
主観的な独白で綴っていく文学であるが
太宰はその生い立ちのなかで『語り』の文化に育まれてきた。

幼い頃から不眠症であった太宰は
おばのきえさんから津軽弁のむかしばなしを聞き、
子守のタケさんからは繰り返し地獄巡りの話を聞いた。
また、お父さんが歌舞伎小屋を持っていて、
芝居のせりふを耳にタコができるほど聞き
高校時代には浄瑠璃を習っていた。そして落語にも凝った。

太宰の作品の底に流れるものは旋律と韻律を帯びた音楽であるといわれるのは
そういう口承文芸が詩や音楽となって
太宰の体に入ってきていたからであると思われる。

太宰中期の作品に溢れるユーモアは津軽人の県民性もあるが
落語で培われたものだろう。
明るくて愉快で、人を笑わせることばかり話すひとであったのに
写真を撮るとかならず暗い顔をした」

頬杖をついているあの「人生の憂いを一身に背負ったような」写真である。
笑顔の太宰治も見てみたいものであるなあと思ったりする。

「太宰の魅力は自分だけがこの作家を理解できるという思いを
読者に起こさせるところである。
『女生徒』という作品は実在の女生徒が元になる日記を送ってきたものだ。
ほとんど丸写しの箇所も多くあって、盗作の疑いもあるのだが
『女生徒』は太宰の作品になっている。
愛読者にとって影響力の大きな作家であるから
その女生徒の考え方に太宰の影響が大きかったのである」

長部さんは別のところでこんなことも言っている。

「太宰は、不特定多数に向かって書くはずの小説を、
読者が自分あての手紙だと感じるように書く。
普通は手紙だとほかのだれにも言わない自分の心の奥底を打ち明けるわけですから、
それほどうそがあると思えないんですね。
ところが、私小説の形でフィクションを書いている。
「自分にだけ真実を言ってる」と思わせる語り口で、
全部作り話をしている。
 小説中の太宰らしき人物と私生活、
さらに一番もともとの津島修治の間には大変な距離があります。
この距離の長さが天才というものだろうと思うんですね」

長部さんこんな言葉で講演を締めくくった。

「山崎富枝というひとと太宰は心中する。

大田静子は妊娠していた。
家庭のために大田静子と別れるではなく
新しい恋人のほうが好きになったと言って別れようとした。

太宰は自分が愛した三人の女性の望むものを与えて死んだ。
ひたむきで一本気で思いつめる山崎富枝には二人だけの死を
大田静子には愛の結晶を
そして美知子にはテキストを与えた。

テキストの原文のなかには太宰は残る。
それは彼が全身全霊を傾けたものであり
伝説のような日常生活ではなく、テキストのなかに太宰自身がいた」

「ご清聴ありがとうございました」というごあいさつが耳にのこった。

ちなみに、わたし自身もはしか組である。
「決めぜりふと泣かせ文句と殺し文句の名人」である太宰にイカれていた。

「難破した人がいて、必死にしがみついたのが灯台の窓縁、助けを呼ぼうと中を見ると、灯台守の夫婦とその幼い女の子が貧しい夕食ながら楽しそうにだんらんしている。
邪魔しちゃ悪いなと思った途端、波にさらわれて、死んでしまう。
この遭難者が家庭のだんらんを壊して悪いな、と思ったために死んでしまったことはだれも知らない。
そういうだれも知らない、世の中に無数にある「高貴な宝石」を探し出して書くのが作家、文学の仕事だ」

これは、文学の仕事について書かれた「一つの約束」という太宰のエッセーである。
この文章がたまらなく好きなわたしも
まだまだはしかにかかっているのかもしれない。


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