例えるならば、こういうことだね
何かについて秀でている人の元に居ても、そのコツを自ら試して実践しなければ一切自分の身に付かないものと同じ。自分を磨くということを率先してやっている人の近くに居ても磨き方を聞いて、解ったつもりになってしまい、実際には積み重ねていなければ自分の現実に反映されて行かない。もっと簡単に言えば歯磨き上手の人の隣に居て、歯の磨き方聞いても、歯を磨かなければ磨かれて行かない。名人と言われる大工の棟梁の元で働いたとして、自分で道具の使い方を工夫したり実際に道具を使い続けて、木材の性質や、失敗を通して経験を積んでいくことで腕のたつ職人となっていく。一緒に居るだけでは名工にはなりません。スピリチャルなことに精通したくて、本を読んだり、資格を取っても自分自身での工夫や、経験を積み重ねていかなければ、自分のものとはならなくていつまでも初心者のままとなります。霊性で生きたいと心から思ったなら、そのための工夫や試しや、日々の積み重ねをずっと自分のためにして行けるもの。歯磨きや大工仕事や何もかも、その道を地道に続けなければその成果は、現れてはこないのです。プロのそばに居るだけでなれたつもりはエゴの満足だけ。木も、数年で大木や神木にはなりません。楽器の奏者にしても、職人にしても、皆そうなのです。料理が上達したければ、失敗を繰り返しながらの創意工夫をしてどんどんアイデアが湧くようになり、道が啓けていくのです。「あの人は凄いよね、私はそうじゃない」と嘆いたり比べたりする前に本当にそうなりたいなら、その人くらいの積み重ねをすればいいだけなのです。求めれば、続けて行くなら、その道が啓いていくものです。道が見えてこなければ、積み重ねが不足しているということだと思います。