2009/03/11(水)09:18
北陸旅行 湖東三山 百済寺、永源寺
天気は曇り空だが、まだ、雨にはならず、昼には、湖東三山の最後のお寺 天台宗 釈迦山 「百済寺」(くだらてら、ひゃくさいじ)を訪れた。
元は、1400年前、聖徳太子の御願により百済人のために創建された寺であったが、その後、天台宗となり、巨大僧門となったが、信長により全山焼かれてしまった。
現在の本堂、仁王門、山門などは、江戸時代慶安3年に、井伊直考、土井利勝、酒井忠勝、春
日局等の喜捨、甲良豊後守宗広の寄進により竣工したもの。
庭園入口
庭園 まず、大きな石の組み合わせに驚かされる
庭園 花の咲いていないこの時期でも、その美しさが想像できる
紅葉の時期には、このようになるらしい
庭園 上から見て
ここは、喜見院の庭園(天下遠望の名園)が有名で、現在のものは、昭和15年に仁王門
側から移築拡大されたもので、池泉廻遊式且つ鑑賞式で、見事なパノラマ庭園である。
ここからは、遠く安土城も、琵琶湖や比叡山も望め、西方880kmには百済国を偲ぶことも出来るという。
天下眺望の図
参道
山門
山門から本堂を見る 荘厳な感じが出てるでしょうか?
本堂
菩提樹の親木
参道の石段を登ると、山門があり、大木の中から本堂が見える様子は、五木寛之もその荘厳な姿を描写している。
又、本堂横には、聖徳太子の植えた?菩提樹の親木があり、これだけは、信長の焼き討ちでも、生き残ったと言われている。
百済寺から山を下ってくる道際では、沢山の野猿が木の実を食べていた。
途中の日吉神社も、秋の紅葉並木は有名です。
参道から山門
ポツリポツリと雨が降り始めたが、最後の目的地 臨済宗永源寺派 大本山 端石山「永源寺」を訪れた。
寂室禅師(正燈国師)が、1361年に開山したが、度々兵火で焼け、現在のものは寛永年間に仏頂国師が再興したもの。
山門
秋になれば、このような姿が見られる!
本堂(方丈) 建物が傾いているのでなく、撮影者の私が傾いていた(笑)
修行場
2~3日前、ここの修行僧同士でいざこざがあり、一人に不幸があったという。
一人は40代、一人は50代で、どちらも修行歴20年以上だったそうです。
悟りを開くのは、大変なことなのですね!
本堂内部 誰が書いた襖絵か 確認できなかった。
芭蕉の句碑もあった。 意味は良く分からなかったので、帰ってから、調べた!(笑)
彦根藩主 井伊家の菩提寺でもある。又、山門前の紅葉は有名である。
(今回は、新緑も紅葉も見られないが・・・笑)
以上、wifeは車の中で待たせて、私一人で急いで走り回ったが、なんとか、小雨の内に廻ることができた。
帰路に着き、高速道路に乗ると、激しいみぞれ雪となり、寒さも増してきた。
「私達は運が良いなー!」と言いながら、2泊3日の強行旅行は終了しました。
二時間後には、自宅に到着。 一言目、「やっぱり家が良いな-!」、二言目「家のコーヒーを飲みたかった!」でした。