◎WMC-254.トゥールーズ(フランス)
◎WMC-254.トゥールーズ(フランス)トゥルーズ、Toulouse位置都市名:トゥールーズ(フランス)人口:39(万)順位(人口ランキング):250位トゥールーズ(トゥルーズ、Toulouse)は、フランスの南西部に位置するコミューンで、オクシタニー地域圏の首府、オート=ガロンヌ県の県庁所在地である。トゥールーズ市の人口は47万9553人(2017年)で都市圏人口は約136万人である。都市圏としてはパリ、リヨン、マルセイユに続くフランス第4の規模を持つ。トゥールーズはヨーロッパの航空宇宙産業の中心地として知られている。エアバス社の本社と主力工場、ヨーロッパ最大の宇宙センターなどが立地している。赤レンガとテラコッタ瓦の建物が多いことから、別名『バラ色の都市』(la ville rose)と呼ばれる。これは、他のフランス都市であれば山から石を切り出してきて建築資材に使用するところ、トゥールーズ周辺には適した石切り場がないため、焼いたテラコッタ・レンガを積み重ねて資材としたためである。また他の別名には『スミレの市街』がある。スミレの群生地がトゥールーズにあり、ここでの花の生産は非常に重要とされてきた。過去には、『モンディーヌの市街』と呼ばれた。これは、トゥールーズ伯のお膝元であることを、歴代伯が多く名乗ったレーモン(Raymond)の名から引用している。14世紀、貿易の繁栄で、トゥールーズはフランス王国第4の都市となった]。しかし1348年、1361年、そして15世紀にもトゥールーズはペスト大流行で人口を減らした。15世紀終わりから16世紀にかけてのルネサンス期、着色料アイの産業が盛んとなり、市は非常に繁栄した。ベルニュイ邸やアッセザ邸といった特徴ある邸宅が建設されたのはこの時期である。1463年5月7日のトゥールーズ大火で3つの地区が壊滅、教会や修道院、自治体建物が数カ所焼け落ちたにもかかわらず、繁栄する都市は拡大した。1476年、トゥールーズは印刷術が伝わったフランス第4の都市となった。1560年、トゥールーズのプロテスタントとカトリックが血で血を洗う抗争を繰り広げた。1814年4月10日、トゥールーズの戦いにおいてウェリントン率いるスペイン=イギリス連合軍と、将軍スールト率いるフランス軍が衝突した。フランス軍はトゥールーズを包囲されても抵抗に成功するが、撤退を余儀なくされた。『バラ色の都市』は、フランス本土にて最後の対イギリス戦の戦闘が起きた最後の地となった。ナポレオン1世が退位してブルボン家の王政復古が成立した後、トゥールーズはルイ18世のもとに結集した。第一次世界大戦後、トゥールーズはついに産業時代になり、火薬製造、航空産業、薬莢製造、これらが産業革命以後残った。1920年代、トゥールーズはピエール=ジョルジュ・ラテコエールの推進のもとで、航空産業のパイオニア都市となった。パイロット・メルモーズの南太平洋横断飛行の成功後、アエロポスタルはフランス=南アメリカ間便に参入した。アエロポスタルは南米諸都市、時にはアンデス山脈の上にまで、数多くの航空便を開拓した。『夜間飛行』のようなロマンあふれるサン=テグジュペリの執筆は、彼のさらなる名声を約束するものだった。トゥールーズは国内でも安定したメトロポリスの1つに成長し、その一方で地方分権の時代に航空技術・宇宙開発産業を迎え入れた。トゥールーズはたちまち地域圏の首府となった。人口増加は急速で、1954年には269,000人、1968年に380,000人、1999年に390,350人、2004年には426,700人に達した。この人口流入は、ミライユ、アンパロ・バガテルといった新地区の建設という都市計画の大きな企画を後押しした。ヌフ橋春のトゥールーズサン=セルナン大聖堂ブルボンヌ通りからの眺めトゥールーズ市役所のある、キャピトル・ド・トゥールーズラ・グラーヴ病院付属礼拝堂エアバスの組立て工場トゥールーズ・メトロA線トゥールーズ大学ル・ミライユ校ウィルソン広場の噴水 トゥールーズ南フランス|美しすぎるピンクの街で観光スポット参考:Wikipedia(世界の都市圏人口の順位)