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カテゴリ:旅行専科
ヴォロネジの市街地 位置 都市名:ヴォロネジ(ロシア) 人口:90(万) 順位(人口ランキング):168位 ヴォロネジ(ボロネジ、ヴォロネシ、ヴォローネシなどとも)は、ロシア南西部に位置するヴォロネジ州の州都でヴォロネジ川(ドン川支流)の河港市である。街は中央ロシア高地の東、ヴォロネジ川の両岸に広がり、ヴォロネジ川は12キロメートル下流でドン川に合流している。 人口101万人で、ロシアでも20位以内に入る大都市。1989年ソ連国勢調査では886,844人、1970年は約660,000人、1959年は約447,000人、1939年は約344,000人、1926年は約120,000人と、人口は一貫して増加傾向にある。 掘削機やプレス機械、合成ゴムなどの工業の他、ソフトウェア産業なども盛ん。州立ヴォロネジ大学の他、大学が多くある。 第二次世界大戦では1942年7月にドイツ軍のブラウ作戦によってソ連軍との激戦地となり、市街は壊滅状態となったが戦後復興した。 19世紀のヴォロネジは中央黒土地帯の政治や経済の中心地であった。製粉、油脂製造、バター製造、石鹸製造、皮革製造などといった製造業が立地し、パン、家畜、牛脂(suet)などの取引も盛んになった。ヴォロネジとロストフ・ナ・ドヌを結ぶ鉄道は1868年に開通し、モスクワとの鉄道は1871年に開通した。 第二次世界大戦では、ヴォロネジは赤軍と枢軸国軍の激しい戦いの舞台となっている。ドイツ軍はヴォロネジをスターリングラード攻略の拠点として、またドン川の渡河地点として重視した。1942年から1943年にかけてのヴォロネジ・ヴォロシロフグラード作戦ではヴォロネジは212日に渡りドイツ国防軍に占領され大きな損害を受けた。35万人の市民のうち3万人ほどがこの時期に殺されたりドイツでの強制労働に連行されている。 ヴォロネジは多くの学者や芸術家が生まれたり学んだりした場所である。ノーベル賞学者ニコライ・バソフやパーヴェル・チェレンコフはヴォロネジで学んだ。 ヴォロネジはロシアで美しい都市である お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.06.14 05:00:10
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