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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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February 18, 2014
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 素晴らしい音楽のただなかに立ちすくみ、ただただ至福のなかにたたずみ、言葉を絞り出しながら、自分のボキャブラリーの貧相さに怯える。

 そんな体験は、めったにできるものではありません。

  今年初めて、その時間に出逢うことができました。

 ロビン・ティチアーティ指揮、スコットランド室内管弦楽団(広告ではスコティッシュチェンバーオーケストラとなっていましたが、長くて舌を噛みそうなので日本語にしたらより妥当なこの呼び方にさせていただきます)@サントリーホール。行きたい、と思って狙っていましたが、意外や意外、けっこう席が残っていましたのでぎりぎりに購入。前日でもC席まで残っていました。ちょっとどうかと思います(宣伝が足りない)。

 というのも、ロビン・ティチアーティといえば、欧米では30前後の若手指揮者を代表する存在のひとり。1983年イギリス生まれ、30の若さであのグラインドボーン音楽祭の音楽監督に就任したという注目株です。スコットランド室内管はもう5年来の関係。管楽器はピリオド楽器を使い、モダン楽器のパートもピリオド奏法を取り入れ、少人数編成で古典派音楽を中心に高い評価を得ています。ベルリオーズの「幻想交響曲」の録音は話題になりました。

 イギリスでは超売れっ子。なのに日本での知名度はさっぱりです。空席が目立つたのがいい証拠ですが、これはプロモートする側に知識が足りないのではないでしょうか。今回の宣伝でも、ここに書いているようなことはほとんどふれられていませんから。 招聘もとは、ティチアーティの価値が分かっているのでしょうか?

 と、憤慨しているのですが、それほど、すばらしいできばえだったのです。

 私がティチアーティに瞠目したのは、2011年のグラインドボーン音楽祭「ドン・ジョヴァンニ」。峻烈だけれどエレガント、やんちゃで無鉄砲だけれど美しく、バランス感覚を失わない洗練された指揮にいっぺんで魅了されました。生で聴いた「ドン・ジョヴァンニ」の指揮では最高だったと断言できます。オケはピリオド楽器のエイジオブエンライトメントでしたが、これがまたよかった。くすんだグラデーションの玄妙さ、響きのパレットの多彩さ、思い切りのよさ、切れ味の鋭さ、躍動感、フレーズの面白さ。。。とにかくワクワクと聴き入った記憶があります。 

 そのティチアーティ、来日したこともあるのですが、これも、奇妙な公演でした。「ザルツブルク音楽祭」で上演された「フィガロの結婚」のプロダクションを指揮したのですが、これ、ザルツブルクではアーノンクールの指揮でウィーンフィル、ネトレプコやダルカンジェロが出た豪華公演。なのに、日本ではなぜか演奏家は一新され、プロダクションだけがザルツブルク(グート演出)という変則的なもの。そのときの指揮がティチアーティで、オケはエイジオブエンライトメントだったのです。「ザルツブルク音楽祭のフィガロ」というふれこみなら、演奏家、少なくとも指揮者とオケは揃えるべきではないか、と思うのですが、なぜかまったく違う指揮者とオケでの来日。「ザルツブルク」ときいてアーノンクールやネトレプコを期待したら違った、という話なので、正直盛り上がりませんでした。なんであんな公演になったのか、未だに不思議です。

 なので、ティチアーティが大ブレイクしたわけでもなかった(するはずもなかった)。ちょっと、気の毒でした。

 で、今回も、なんとなく地味な形での来日です。宣伝文句に「グラインドボーン」云々や、近年の売れっ子ぶりはまるで出ていないので、繰り返しですが招聘もとは彼の真価をどのくらいわかっているのかと不思議でなりませんでした。

 それはさておき、これは「大当たり」!の演奏会でした。 音楽に浸り尽くす快感に涙し、心を溶かし、裸にし、無防備になる快感。自分の言葉の貧しさを嘆くもどかしさ。そのような感情、感覚が、いっぺんに押し寄せてくるという、めったにない体験ができました。

 第1曲目の「フィンガルの洞窟」序曲からして秀演。派手ではありませんが、落ち着いた水彩画、でも躍動的で色合いに富み、筆遣いのあざやかな音画。次々とつながっていく音の波はターナーの水彩画を濃くしたようで、それが命を得て脈打ち、流動的に広がります。音響世界に遊ぶ歓び。

 けれど圧巻は、プログラム2曲目のショパン、第2番のピアノ協奏曲でした。

 第1番に比べて、やや地味に見られがちなこの協奏曲。けれど音楽が始まったとたん、その先入観は吹き飛びました。とりわけ、独奏のマリア・ジョアン・ピリスのピアノが始まってからは。

 この美しさを、何にたとえたら。

 野暮な言葉は次々と無力になります。偉大な音楽の前では。ピリスというひとは、ピアノという美しい野獣を手なづけ、その内部に入り込んで、そこで奏でられる音楽の、暖かな血潮と柔らかな脈拍を感じ取ってしまうのです。静謐でいて、つよく、はかりしれないくらい、途方もなく情熱的。ものすごいカリスマです。あのアルゲリッチに並ぶくらい。現代の女流ピアニストの最高峰は、アルゲリッチとピリスと再認識しました。今が旬の女流ピアニストといえば、グリモーとかケフェレックとかヒューイットとかいますけれど、彼女たちも好きだけれど、いや、まだまだです、ピリスの足元ですね。

 節度を持ち、品格を保ち、それでいて柔軟で、ピアノの奥深くからつかみ出してくるように色んな音を繰り広げ、決してはでにならず、どこまでも自然にきこえ(多分違うけど)、途方もなく心にしみいる音。楽譜に書かれた音が、ピリスとティチアーティたちの手で命を与えられ、立ち上がって呼吸し、私たちの存在を吸い込む。その音楽のなかに立ち尽くし、その美しさの前でただただ打ち震え、心を裸にされ、無防備にされ、けれどそれが快感で涙する。ショパンの第1楽章は、そんな十数分でした。

 (考えてみれば、大ベテランのピリスと未来を嘱望されるティチアーティとの共演というのも大きな話題なのに、それもまるでPRされていなかったのも不思議です)

  このショパンですっかり魂を抜かれ、もう帰ろうか(この満足感を胸に抱いて)と思ったほどですが、やはり念願のティチアーティだからと思いとどまり、後半の「運命」へ。いや、これもよかった。立ち上がりはわりと悠然としていましたが、後半に行くにつれて盛り上がり、最終楽章は異様な緊張感とピリオド系のスモーキーな美しさが同居。指揮は引っぱりに引っ張り抜く、きわめて個性的な演奏でした。エレガントなのにスリリング。やっぱりピリオド系の演奏て面白い!ピリオド楽器を採用している管楽器の響きのスリルにも魅了されました。

  アンコールは「フィガロの結婚」序曲。グラインドボーンで聴いた時ほどやんちゃな印象ではなかったけれど、やっぱりティチアーティ・サウンドと呼びたくなるスモーキーでグラデーション豊かな、溌剌とした演奏で客席を席巻。さかんな拍手を浴びていました。

 こんないい演奏会、もっと多くのひとに来てほしかった。

 マネージメントする方々にお願いしたいのですが、招聘するアーティストのほんとうのよさをPRするように努力してほしい。今回だって、いくらでもPRができたはず。「こんな面白い「運命」、聴いたことがない!」って宣伝したって、ぜんぜんおおげさではありません。佐村河内事件じゃないけれど、人生ストーリーを演出するよりよほど大切だ、と思います。 

  






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最終更新日  February 19, 2014 01:43:02 AM


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