3310594 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
October 20, 2020
XML
カテゴリ:音楽
前回のブログでは、「能」と「オペラ」のコラボレーションについて書きましたが、今回は「ダンス」と「オペラ」の幸福な合体を成し遂げたプロダクションについて書きたいと思います。
先週の週末に神奈川県民ホールで上演された「トゥーランドット」。「H・アール・カオス」主宰の演出・振付家で、才気あふれる大島早紀子さんの演出ということで、注目が集まっていた舞台でした。
 
 ご存知の方も多いように、コロナ禍で中止に追い込まれた音楽イベントの中で、オペラや声楽は「飛沫」問題があるため、復活に時間がかかりました。オーケストラの再開は6月からでしたが、オペラは8月の藤原歌劇団「カルメン」が本格的な復活第一歩。徹底してディスタンスに気を配った配置に加え、オケは舞台上、歌手はフェイスシールドと、コロナ時代のセミステージオペラのような上演でした。でも演出家はじめスタッフの方々は、とても苦労されたようでした。
 今月、新国立劇場のオープニング&再開公演として上演された「夏の夜の夢」も、セットや衣装こそ予定通りでしたが、ディスタンスには相当気を配っての上演でした。
 けれど今回の「トゥーランドット」は、ほぼコロナの影響を感じさせない舞台づくり。セットも衣装もそのままだし、主役たちの接吻シーンもある。本格的なグランド・オペラの復活を実感しました。もちろん、キャスト、スタッフ全員の徹底したPCR検査など、ご苦労はとてもあったと思いますが。

 さて、ダンス畑の方が演出をする「トゥーランドット」は、以前にも見たことがあります。けれど残念ながら、目障りな動きが多かった。音楽を邪魔する場面があったのです。
それに引き換え、今回の大島演出では、そのような場面が一切ありませんでした。音楽への理解がなみならないことが感じられました。聴かせどころのアリアでは、ダンスを引っ込め、歌手に任せる。音楽、作品への愛と理解があります。
 そして、大島演出でなければ体験できない、ダンスと音楽の一体化。ダンスが作品を掘り下げ、作品の魅力と大島ワールドが合体し、化学反応を起こして、魅力的な「大島トゥーランドット」を創造していました。大島さんの演出(振り付け)は、ラベルの「ボレロ 」に圧倒されたのが強烈な思い出ですが、今回の「トゥーランドット」は、作品の規模の大きさもあるし、大島さんの代表作になるのではないでしょうか。暗くダイナミックな第一幕から、明るく幸福感あふれるクライマックスへ。作品のメッセージをポジティブに捉え、闇から光へというコンセプトがはっきり打ち出されました。そして同時に、「トゥーランドット」という作品の優れた所と、弱い所〜例えば最終幕のアルファーノの補筆部分〜がはっきり見えた。長所も欠点もはっきり見せた。欠点を補わなかったのはなぜか私にはわかりませんが、作品の輪郭が見えるのは、優れた演出の証左だと思います。

 一番圧巻だったのは、大合唱が活躍する第一幕。舞台を取り囲むように城壁を模した装置がおかれ、合唱団は時に壁に穿たれた穴から顔を出し、暗い舞台に光を灯します。この幕も含め、今回の「トゥーランドット」は「高さ」のある、立体的なプロダクションですが、合唱がほぼ主役で、大勢の人間が舞台にひしめき、物語がどんどん進み、音楽が先進的でゴージャスでダイナミックで圧倒的なテンポで進んでいく第一幕は、ダンスに一番あっていると感じました。音楽が多彩だから、ダンスも多彩になります。宙吊り、宙返りのアクロバティックな動きから、「首切り役人」を演じる演技力まで。大島さんのミューズである白河直子さんの、同じ人間とは思えない柔軟自在な体と美しい動きが冴えます。白河さんに従う四人のダンサーも、しなやかな花のように美しく全力で咲いていました。
 第二幕は、特に三人の大臣による幕間劇のような第一場が出色。残忍な任務を象徴するように、片手がそれぞれ剣やハサミのような刃物になっている三人の大臣は、コミカルな動きを繰り出し、時に人形使いになり、自分の役目を自嘲します。とても演劇的です。
謎解きの場面となる第二場は、古代中国の兵馬俑をちょっと想像させる金の人形のレプリカが中央に並ぶ設定。侍女たちの衣装や扇のテイスト、皇帝が背後の高みにいる設定など、ちょっとゼフィレッリ演出を思わせる部分もありました。
 第三幕はまた第一幕のようなテイストに戻りますが、前半はリューにスポットが当たり、照明も音楽もその箇所は明るく叙情的です。リューへの哀悼と葬送のあゆみを体現するダンサーの動きは、心に染みました。
 で、ここを境に、アルファーノによる補筆部分に移るわけですが、ここから、舞台はガラッと明るくなり、トゥーランドットとカラフの愛の二重唱にはダンスは皆無。二人の歌手が、「愛」に目覚める過程を歌いました。歌手に、音楽に任せられてしまった。
 となると、出てしまうんです。ここの音楽が弱いということが。「トゥーランドット」というオペラが、とても残念ながら「竜頭蛇尾」である、ということが。
 アルファーノはもちろんプッチーニが残したスケッチに基づいて補ったわけですから、骨格の部分はプッチーニの音楽なのですが、それでもプッチーニの音楽の大きな魅力であるニュアンスというものが、残念ながら補筆部分からはほとんど感じられないのです。それが、もろに出てしまった。それまでが充実していただけに(繰り返しですが特に第一幕)、ポカン、としてしまう。
 ではどうすればいいのか、と問われたら、私如きに何も思いつくわけなどないのですが、作品の姿をそのまま見せたという点で、これしかやりようがないと言えばない、のかもしれません。プッチーニ がこの二重唱のスケッチに「そしてトリスタン poi tristano」と書き残していることは有名ですが、プッチーニ がこの言葉で最終的にどんな音楽を目指したかは、わからないのですから。
 第一幕がこの作品の中で最も優れている、ということも、改めて痛感しました。ポストワーグナー時代の、通作されたイタリアオペラとしては、(私見ですが例えば「オテッロ」の第四幕や、「ファルスタッフ」の第二幕などと並んで。もちろん音楽は全く違いますが)最も完璧な例の一つではないでしょうか。(たまたまですが、「新グローヴ・オペラ事典」をめくってみたら、「プッチーニのオペラ全作品の中でも、おそらく最も完璧な構成を持つ第一幕」というくだりがありました)。
 
 今回、プログラムの解説を書かせていただいたので、そのためもあって大島さんにインタビューさせていただいたいのですが、大島さんは、このコロナの時代だからこそ、愛の素晴らしさ、愛が全てを救う結末にしたい、とおっしゃっていて、そのために「愛の二重唱」をじっくり聴かせる演出になったのかもしれません。

 最後の「愛」のクライマックスでは、再び五人のダンサーたちが背後の壁に宙吊りで舞い、鳥のような衣装共々、抜群の存在感を発揮していました。

 歌手の方たちも熱演。カラフ役福井敬さん、甘く輝く声、艶やかな張り、ここ!というところで声を当てるうまさなど、まだまだ健在です。ここまでカリスマ性のあるテノールは、なかなか思いつきません。リュー役木下美穂子さんも、芯の強い声と共に、芯の強いリューを抒情的に歌い上げ、トゥーランドット役田崎尚美さんも、パワフルで情熱的な歌唱で、愛に目覚める氷の姫君を熱演しました。
 佐藤正浩さんの指揮は、壮大な音楽をきりりと引き締め、緩急のコントロールが巧みで、大作をバランスよく聴かせてくれました。コレペティトゥールの経験が長く、歌手の伴奏もよくなさる佐藤さんだけあって、歌手への配慮が感じられ、歌手の方は歌いやすかったのではないかと思います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  October 21, 2020 07:15:18 AM


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

CasaHIRO

CasaHIRO

フリーページ

コメント新着

バックナンバー

April , 2024

© Rakuten Group, Inc.