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テーマ:英語のお勉強日記(8033)
カテゴリ:日本で英語って必要?
よく、大人になってからネイティブ並の英語力をつけるのは無理と言われているけど、個人的には全くそんなことはないと思っている。いくらでも、とは言わないけど、20代になってから本格的に英語をやりはじめた人でもネイティブと十分にやりあえるレベルに達している人と何人も会ってきた。もちろん発音などには若干訛があったりすることもあるけれど、少なくとも麻生首相の英語を「流暢」と評価してしまう日本の人が聞いたら十分ネイティブスピーカーだと思ってしまうと思う。
そのレベルに達している人はほぼ例外なく海外生活が長く、さらに極めてカリキュラムの厳しいプログラムに参加し、さらに社交的で、日本人だけで固まってしまうことなくアメリカ人などとも分け隔て無く付き合っている人が多い。社交的うんぬんという部分は本人の性格もからんでくるから何とも言えないけど、つまりそのような性格を有していてかつ長期海外留学をする時間と資力(もしくは環境)があり、厳しいプログラムに参加し乗り越えられるだけど能力があれば、誰でもそのレベルの英語力に達することは可能だと思っている。が、現実問題として、日本の人でそれが実行できる環境にいる人は極めて希だと思う。 そしてもし、実用的な英語がそのような環境を経てからしか身につかないのであれば、日本に生活基盤がある人はいっそのこと英語に関しては餅は餅屋にまかせて、むしろ自分の得意なことを伸ばすことに時間と労力を注いでみてはどうかと思う。 さて話はかわるけど、日常的に電車の中等でこれだけ英語の本を広げているにもかかわらず、日本人にとって英語を身につけるということに対して切迫感がないのは、そもそも日本にこれだけ人口と経済力があるために、通訳と、特に翻訳というビジネスが経済的に成り立ってしまうから、という説明がなされることがる。 どういうことかというと、たとえば科学分野の有名な教科書の原著は元々英語であることが多いのだけど、日本ではその翻訳版というものが出回って使われている。もし、出版社に利益をもたらすほど翻訳版が売れないのであれば、そもそも翻訳版というものは存在しないだろう。実際、発展途上国の多くはそのような理由から、科学教育においては英語の原著を使わざるをえず、学生たちもいやおうなく英語を身につけざるをえなくなる環境にある。 ここでもし日本の理科系学生にも半強制的に英語を身につける環境を提供する意志があるのであれば、もしかしたら翻訳版を発禁にするべきなのかもしれない。ただ、もしそのようなことを実行すれば、日本の学生は、膨大な時間をかけて原著と闘わなければならなくなるし、その負担を学生一人一人が負わなければならないとなると、「のべ」の時間と労力は膨大なものとなると思われる。(その上、英語原著の教科書を使いこなせる教員がどれだけいるかもかなり疑問だ。)かたや、翻訳版を作製するのにかかる時間と労力は極めて限定的な人数の翻訳者の肩にのみかかるわけで、それによって大多数の学生の時間と労力が節約できるのであれば、それに越したことはないという考え方もあると思う。 もちろんそのような事を続ける限り、英語で世界と勝負できる科学者や技術者は育たないだろう。ただ繰り返しになるが、日本人の人口とその経済力を考えてみれば、日本語で勝負できる日本国内マーケットのニーズだけでも相当なものがあり、そこでは全く必要のない英語というものを、全ての科学者や技術者が研究や技術開発の時間を削ってまで身につける必要性はどの程度あるだろう。むしろ、科学者や技術者は自らの本分に徹し、英語は英語でその専門家に任せてしまったほうが遙かに効率的なような気もする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 11, 2009 12:15:26 PM
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