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カテゴリ:日本で英語って必要?
いやあ、すっかりごぶさたしてしまいました。
の、割にはまたしてもちょっと辛口なエントリーを・・・。 「新教育の森:授業すべて英語で 留学必修勉強漬け 秋田の国際教養大…成功の鍵」 この記事を読む限りは美談のようにも思えるが、「英語で授業をする」という点についてあえて苦言を呈してみようと思う。 そもそも結局アメリカの後追い、アメリカの真似でしかないように思えてしまう。(ただ、知人が「そもそも日本の良いところはアメリカなどの良い(良さそうな)ところを節操なく(つまり素早く)取り入れるところだ」と言っていたことがあり、その点ではこれも日本の良い所(柔軟性)とも言えるのかもしれないが。) 日本と比べ、バラエティに富んでいるアメリカを一般化をするのは難しいが、それでもアメリカの大学の新入生は、明らかに日本の同世代よりは(少なくとも「暗記モノ」という目線から見れば)学力が低い。いや、低かった、と既に過去形で語らなければならないくらい、日本の高校までの教育のレベルが下がってしまったんだろうか。 結果として大学は勉強するところになってしまったともとれる。(個人的には人生のうちでいちばん体力も気力も充実している時期に、無責任に思いっきり遊べる(色々な経験をすることができる)という意味で、日本の大学時代というのも捨てたものではないと思っている面もある。それはとりもなおさずアメリカと比較して高校までの学力の「蓄え」があってこそ可能であった。)日本らしさ、日本の良いところはどこにあるのか。これからも教育システムを含め日本はアメリカの後追いを続けるんだろうか。 恐らく英語で授業を行うために、アメリカを含め、英語圏から教員をリクルートしてきていると思われる。さて、どのような人材がリクルートされてくるのだろうか。アメリカやその他の母国に就職口があるのに(もしくはないから)わざわざ日本にやってくるというのはどのような人材なのだろう。 そもそも授業を英語で、などというシステムがウケる時点で英語に敗北してしまっているような気がする。それともこれからさらにグローバル化が進んでいくことを見越して将来的には日本語を捨てる覚悟ができているんだろうか。 自分の場合、専門教育はアメリカで受けたので、(今は日本語もなんとかなるようになったが)日本語の専門用語を知らなかったりする。専門分野を日本語で説明できなかったりもする。(一部だけならともかく多くの授業を)英語で行っている大学は、日本にいながらにしてそのような人材を育ててしまおうとしているんだろうか。 記事の中に「問題なく現地の授業についていけるレベルのTOEFL550点以上」とある。申し訳ないが笑ってしまう。 未だに既に主流とはいえないPBTのスコアをスケールに使っているのも謎だが、少なくとも自分の経験からすればTOEFL550点というのは、現地(英語圏)の授業にギリギリついていけるかついていけないか、というレベルだ。さらに「授業についていける」という状態が「まともに内容まで踏み込み現地の学生と競争できる」というレベルで要求されているのであれば、全くついていけないと言ってしまって良いレベルだと思う。丁々発止のディスカッションまで含めて「まともに授業についていける」というレベルを要求しているのであれば(そんな点数がTOEFLにあるのであれば)900点~1000点くらいは必要というのが正直な感触だ。そもそもアメリカではTOEFL600点を要求する大学や大学院でも授業についていけない留学生が続出したために、各校独自の英語試験を課したりするようになってきているのに。 日本の学校がTOEFL550点といったスケールに留まってしまうのは、そもそも担当者がTOEFL500点とTOEFL600点の英語を聞き分けることができないからに他ならないような気がする。ましてやTOEFL600点を上回る(つまりTOEFLでは計れない)レベルとなれば、「ペラペラ」とひとくくりにされてしまって終わりである。ちなみにこれは企業などの採用担当者にも言えることだと思う。そもそも日本国内ではそれほど高い英語能力は必要とされない(日本国内では「英語」を要求される人材としての価値はTOEFL500点程度であろうがそれを遥かに上回っていようが大差ない)ということは念のため書き添えておくべきだとは思うが。 もちろんビジネス(つまり卒業生の就職時の「国内での」評価)的には成功しているのだと思う。勉強をさせる、という点において人間教育としてもうまくいっているようである。あくまでも国内向けではあるが。つまりもし英語で授業を行っていることによって世界に出て勝負ができるグローバルな人材が育っている(もしくはアメリカ等のまともな大学と肩をならべるような教育内容を提供している)、と考えているのであればそれはちょっと違うと思う。 それでも勉強する癖と、英語の基礎能力はつきそうではあるから、もし世界に出て勝負しようと思っているのであれば、そこを経て英語圏の大学院に進学する踏み台としては、他の一般の大学よりはいいのかもしれない。 細かい点を上げればきりがないが、記事内の「留学生と同じ部屋になる可能性も高く、授業を離れても英語を使わざるを得ない」というくだりも気になる。英語圏からわざわざこの秋田の小さな大学に留学してきている学生がいるんだろうか。(もしいるとすれば、三顧の礼をもって「来ていただいている」というパターンのような気がする。) それから「留学生と同じ部屋になる可能性」があるという表現は、むしろ日本人同士で同室となる可能性が高いことを示唆しているけど、ルームメートとはさすがに日本語でしゃべっていると思われる。ちなみに自分の経験からすれば英語を身につける早道は「日本語環境から遠ざかること」であり、いくら秋田の田舎とはいえ、日本語のテレビが見られる環境にあり、記事にも「休日も(ショッピングセンターの)『イオン』に行く」とあるではないか。 そんなに英語をなんとかしたいなら、いっそのこと留学してしまったほうが良いようにも思えるが(もちろん費用面等の問題はあるのだろうが)、そんなこんなで3歩進んで2歩下がるとまでは言わないが、3歩進んで1歩下がるような環境で英語にこだわっている状況というのはなんとも歪なような気もする。 なにはともあれ個人的には(ビジネス的には成功であっても)やはりこのような「アメリカのお下がり」的なやり方になってしまうのは残念でならない。日本らしい日本ならではのやりかたを模索してほしいものだと日本人として思ってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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