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カテゴリ:芋焼酎
開栓時に漂うほのかな芋の香り.... それはアルコホルのふわぁあに乗っかって、 静かに存在する。 口に含むとふわぁあが辛味を帯びて喉にしみる。 ほんのりと芋味が感じられるがそれも一瞬.... 飲み込んだ後、 アルコホルで痺れた口内で 芋っぽさと皮っぽさが舌の上だけで静かに存在し、 最後に苦みが、渋みではない苦みが締める。 似ている.... それは郡山の芋焼酎「郡山太郎右ェ門」であり それはかごしま屋さんの「亜士亜 強力 黄麹造り」でもある。 控えめな芋の存在加減とふわぁあ感が「郡山太郎右ェ門」 最初に香る芋香タイプと最後に残る苦みの具合が「亜士亜 強力 黄麹造り」 なんとも不思議な感じがした.... 太郎右ェ門君はたしか飲みやすくするために減圧蒸留されてた。 しかし、芋太君はしっかりと低温管理で仕込まれ、常圧蒸留で無濾過.... 造りは大きく異なるのにねぇ.... いろんな計算式使っても出た答えが同じになるってこともあるもんね。 フムフム、算数で考えるとわかりやすいな。 でも、この感想は今の芋太君についてでこの先はわからない。 なぜなら、千代むすび酒造さんはまだ焼酎造り勉強中とおっしゃるから.... このドライタイプの芋からの転身もありうるわけで、 また、別のベクトルを示してくれるかもしれないね。 今日のひとくちメモ.... 鳥取県のさつま芋 江戸時代の三大飢饉のひとつ“享保の大飢饉”の時、 石見銀山のある石見の国大森領(島根県太田市)に 井戸平左衛門なる代官が、大森の栄泉寺で旅のお坊様に 飢饉でも収穫が見込める「唐いも」が薩摩にあると聞き及び、 種芋を百斤(約70キロ)を手に入れたんだと。 当時、薩摩藩は「藩外不出」の品として扱っていたらしいから、 実際、入手するのは大変なことだったと思う。 この「唐いも」が境の地に伝来したのはその8年後、1780年。 境村(現境港市)の庄屋、黒見幸右衛門の懇願により、 島根県邇摩郡静間村の船頭さん甚右衛門がもたらしたとされてる。 この時、種芋30斤(約20キロ).... それが今や境港だけで 年間500トンものさつま芋を作る産地となってるんだなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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