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2012年12月15日
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カテゴリ:鳥取 移住生活
すっかりご無沙汰のこの日記。
年末区切りの更新作業と参りますか^^v
この作業に意味があるのかわかんないけど、
それでも、記録の意味で残しておきたいと思ってね。。。
例によって、FBからの抜粋です。


5月6日

昨日は待望の鳥取県立博物館に行ってきた。
開催中の「柳宗悦展 -暮らしへの眼差し-」
に因んだワークショップだった。

「My Favorite Craft Show! 
~みんなのお気に入りの“うつわ”を鑑賞+お茶会をひらこう!~」

いやはや、面白い。
人それぞれのこだわり方。。。

たった一個の器に物語があるんだということを
目で見て、耳で聞いて、手で触って、
その方の手元に届くまで、そして、届いてからも、
“うつわ物語”は連綿と続いていくわけだ。
鑑賞、などというと
桐箱に納まった立派な茶器が並ぶんじゃないかな、
そんな風に思ったけど、
いやいや、どうして、普段使いのうつわが大多数で、
それがまた、いい感じだったよ。

道具を作るとき、
それは使い手の勝手を思って作ってほしいし、
使い手は作り手のそんな思いを感じながら、使いたい。。。
モノづくりの捉え方にも様々な立ち位置があるだろう。
現実的に支払う対価と個々の価値観。
時代と年齢によって変貌する自分にとっての値、
それもまた一興なり。

その姿に惚れる、美を感じる。。。
その便利さを重宝する。。。
仕舞い込むことも使い込むことも
同様に愛でる行為の表れ。。。
そうして、それぞれの道具たちは
また、それぞれの物語を育み、継れていく。
長い時の経過の中で、廃れていくものもあるだろう。
あたしはその廃れも無駄にしたくないと思っているのだ。
廃れに学ぶこと。。。忘れたくないのだ。
世の中には勿体無いことばかりが目について、
勿体無いの裏にある傲慢な贅沢も
すべては無駄の美学、歴史の一篇に過ぎない。
自身はただその刹那の存在であるだけ。

こういった企画は初めてだったそうだけど、
今後もできれば、継続してほしいなと思うわ。
いろんな人と語らい、つながり、只そこにいる。
それが愉快。。。それがいい、充分だよ。


5月7日

映画「ICHI」観ながら、衣装のこと、いろいろ考えてた。。。
破れかぶれとはいえ、決して汚くない。
古布の価値って、絶対、あるよ。
そうえいば、亡き三村晴彦監督の「愛の陽炎」の時、
大船の撮影現場を見せてもらったんだよね。
伊藤麻衣子ちゃんと北林谷栄さんとの絡みだった。
あれ、くぅちゃんに聞いたんだっけ?
北林さんの古布行脚のこと。。。
北林さんって各地でロケ行くたびに農家さん回って、
古い着物を集めてたって。。。
そうそう、そういうのって、
山形の酒田の辻村ジュサブロー展でも同じこと紹介してた。
ジュサブローさんご自身がお人形のために
古い着物をずっと探しに来てたって。。。
目的が明確でありさえすれば、
古いことにこそ、価値があったりするもんだ。
もちろん、絶対的な審美眼は必要ではあるけどね。。。

まぁ、映画観ながら、
そんな当たり前のこと、考えてみたりしたわけだ。


5月10日

「指輪、落ちてませんでしたか?」
昨日、あたしがお掃除しているフロアのお嬢さんに、
ゴミ回収のときにそう聞かれてね。
ポケットに入れてあったはずが無くなっていて、
立ったり、座ったりするうちに落っこちゃったらしい。
朝、掃除機をかけたときには見当たらなくて、
お昼前にゴミを回収したときもなくて、
そしたら、掃除機の中身を見せてほしいからと
掃除機開けて、ホコリの山を二人で探したんだよ。
だって、そうまでしたいものって
よほど、大事なものに違いないじゃない。
だから、ゴミ置き場にも行って、
前の日のゴミ袋も開けてみて、
でも、やっぱり、見つからなかった。。。
「見つかるといいですね」
そう言うのが精一杯だったよ。

そしたら、今日のゴミ回収のときに
わざわざ言いに来てくれた。
「昨日の指輪、ありました」って。。。
「そうか、よかったぁー」
なんか、ほっとしたよ。
指輪見つかったことも
それを言いに来てくれたことも。。。

だから、今日はちょっといい気分なんだ。


5月17日

昨日起こった偶々。。。
道向かいの郵便ポストに引越し葉書を投函するために道路を渡った。
横断歩道のない場所、いや、ほんの20m先にはあったのだけれど、
そこまでが面倒くさくて、ついね。。。
そしたら、あるご婦人に声かけられた。
「道、渡らないで下さい!」
歳のころは六十前後。。。
上化粧はほとんどしてはいないが、
眉毛の形だけはテンプレートを使ったのか、
きっちりとと書かれていた。
そのしっかりした眉と真っ直ぐに射るような目線にどぎまぎし、
注意されたバツの悪さも手伝って
「はぁ。。。」
と一瞬、とぼけてしまったのだ。
「車ぶつかると障害になります。だから、道、渡らないで下さい」
なおも続けられる言葉のイントネーションに
言葉の不自由さを感じながら
「ありがとう。気をつけます」
そう、答えた。
「少しだけ行けば、横断歩道あります。なぜ、行かないですか?
障害なります」
詰問調の返しに少々面食らって、答えを探しあぐね、
「障害、ですか。。。」
うっかり、オウム返しに呟いてしまった。
しかし、これがいけなかった。
相手の眼がかっと見開き、きっちりと書かれた眉も上がり、
怒りの感情が顕になった。
「障害、知りたいですか!聞きたいですか!」
「いえ、そうではなくて、障害があるようには見えなかったので」
慌てて、言い訳がましくつないだ言葉は
さらに相手を怒らせたようで、
「私、持ってます!」
と、ショルダーバッグから、
いきなり、緑の手帳を出し、突きつけてきたのだ。
いや、思いもかけない展開に面食らった。
「そうではなくて、どうぞ、しまって。。。」
「いいです、道渡らないで下さい!」
怒ったまま、そう言い切って、その場を離れていく女性。
その後ろ姿をぽかんと見つめながら、
なんとも表現しがたい不思議な感覚を味わっていると、
その女性は別の方にも
「渡らないで下さい!」
と、あのきついトーンで声かけているではないか。
私は咄嗟に駆け出し、同様に呆気にとられている方に
言葉を投げた。
「あの、つまり、横断歩道を渡ってくださいって仰ってるんです」
その方は「あぁ、そういうこと。。。」大きく頷いた。
「じゃあ、一緒に渡りましょう」
私はその方を誘って、歩行者信号のボタンを押し、
ちゃんと青に変わるのを待って、無事に横断を終えた。
振り返ったときにはその怒りのご婦人の姿もなく、
なんとも不思議な感覚のまま、家に戻った。

この偶々の出来事が何を意味しているのか、
今の私には捉えきれない。
しかし、あの場で
障害者手帳を出さなくてはならなかったご婦人の背景を
この先、きっと、学ぶ機会を得るだろうと予感している。
後々訪れる機会を見失わないための記録なの。


5月26日

今日のえねみら・とっとり主催の上映会は
岡山県吉備中央町の町議さんのトーク付き。
DVDに登場する方々の中に
山下俊一さんの喜多方講演で
お見かけした方が発言していた。
あのとき、イエローリボンを使って繋がろうとしていた方だ。
おそらく、Twitterアカウントでいえば、あの方だろうと推測してる。
また、昨年夏、東日本大震災復興支援財団の
「子育て相談会 in 郡山」でブースを構えて、
アプローチしておられた方々の姿もあった。
時の流れを強く感じたDVDであった。
関東からの避難者を受け入れている自治体の具体的支援策。
人口13000人、高齢化率36.5%の小さな町での成功事例である。
就農を中心とした避難者受け入れである。
また、高梁市では避難者支援を条例化しているという。
今は空き家バンクシステムの推進を課題にしているようだ。
ただ、やはり、この3月末日を以て
県の方針としての支援を打ち切った背景もあり、
各自治体も縮小に向かっているとのこと。
これからが正念場だと仰った。
何かと考えさせられるお話であった。


5月28日

早朝の花火と町内を走る運動会開催告げる街宣カー。
本日、運動会につき、
弁当作りでなお、一層のバタバタ!
高学年と低学年で登校時間が違うもんで、
さらにさらにドタバタ~!
とりあえず、送り出し、ほっとひと息。。。
ちがーう!
おにぎりつくっとらんやー!
やっぱり、ジタバタ!


5月29日

鳥取に来て、やりたいことが沢山あった。
でも、もう、何もできないのではないかと思った。
通行人Aにすらなれない自分を感じていたんだ。
自らを否定しながら、ずぅっとね。。。
だけど、違う、たぶん違う。。。
あたしに振り当てられた配役が
もし、間違っていなければ、
自ずと道は開けるだろう。
そんなことを考えながら、今日は休むことにしよう。

マスタードもケチャップもないけれど
パンも食ったし、フランクフルトも食った。
“こころ”使いすぎた夜くらいは
昨夜の分も取り戻して、惰眠貪っていいよね。

だって、むっちゃ、眠いんだもん。。。
おやすみ、みんな。。。愛してるぜぃ!


5月30日

昨日、取材に見えた記者さんに
まるっきり、別ネタですけど~と、
自分が考えてる3本の映画についてしゃべくりナイト!
扱い微妙な2本がウケてもらえて、ほっと安心。
だからといって、すぐに上映に結びつくかというと
これは更に別問題。。。

同時進行で頭使いこなすのって慣れてないのよ。
アレとコレとソレと。。。どれ?
どれどれドレッシングな温サラダ。
まぜこぜしたって旨いとは限んないのよね~~~(-_-;)

  記事は読売新聞~ふるさと離れて・関西版より。。。


5月31日

瓦礫受け入れ反対に署名をしてほしいと紙を見せられ、
署名できないあたしは大罪人なのだろう。
思いはあっても、同意することが何を意味するか、
それを考えるとどうしてもペンを握ることができない。
ずるいと言われた。
信じられないと言われた。
ただ、瓦礫処理の問題を厳密に説くならば、
それは避難者の否定であり、
北の地に住む人たちへの穢れに通じると。。。
だから、言った。
放射性廃棄物は動かしてはならぬ、
確かに事実だけれども、
では、食物は土は空気は水は、そして、人は。。。
どこまでを許容するのか、
その目安も出せず、出さず、
ただ、反対の意を主張するのに疑問を感じてしまうのだ。
片方で内部被ばくの危険を大々的に語り、
片方で避難者を受け入れ、
場合によっては避難者自身が声高に叫ぶのだ。

矛盾、不条理、メビウスの環、クラインの壷。。。

かねてより、幾人かの方には言葉として伝えた。
特に報道関係の取材にはね。。。
もし、あらゆるものを否定するならば、
それは避難することをも拒絶すべきではないか。。。
人間は別だと言われた。
それは本当か?
本当にそうなのか?

たったひとり目の前の避難者がいくら苦しんでも
気づかない人達には見えないのだ。
被ばくしてしまった悲しみは癒しようもない。
誰も気づかないことを気に病む必要はないのかもしれない。
しかし、気づいている人たちはいるのだ。
だから、恐ろしいのだ。
だから、苦しいのだ。

人の交流や移動によって拡散する核種のリスクまで言及し、
尚且つ、はっきりと自らの基準を主張し、
己の尺度で納得できるまで傍に来るなと、
避難そのものも堂々と否定できる人の主張なら、
私は一も二もなく、署名できるのに。。。
それが自分への否定であろうとなかろうと
私の考える“筋”なのだ。


 



このときはまだ闇の中。。。
カオスの中にいて、ただ、浮き沈みを繰り返す。
そんな気分でありやした。。。 





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最終更新日  2012年12月15日 22時38分25秒
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