テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:戦争反対&歴史ネタ
今日は、日本国憲法の誕生日…「憲法記念日」だそうです。
ゴールデンウィークの殆どが仕事で埋まってる私的には、あんまり関係の無い話ですが、国民の祝日ですね。 そんなワケで、今回は昔の日記から…日本がかつて運用していたもう一つの憲法、大日本帝国憲法についてのお話を小改装してお伝えしたいと思います。 アジア初の近代憲法、大日本帝国憲法は、天皇を国家の元首と定めると同時に、 その権限を制限し実質的には内閣や議会が国を動かすと定めた、発布された当時としては充分開明的で優れた憲法でした。 (実際、大正時代までは有効に機能していました。) しかし、世の中に完璧なシステムなど存在しません…大日本帝国憲法にも欠陥がありました。 憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」 …所謂「統帥権の独立」です。 これを都合良く解釈すると、天皇の統帥(軍の指揮、監督権)を預かる立場にある陸軍参謀本部と海軍軍令部が、 日本の公的機関でありながら、 司法、行政、立法の三権…すなわち議会や内閣の監督を受け付けない不可侵な存在になってしまいます。 明治の元勲達はこの欠陥を理解していましたが、 これを政治的に利用しませんでした。 弱肉強食の帝国主義が蔓延する世界で、暢気に内輪揉め出来る状況にはありませんでしたからね。 しかし大正末期から、どうも困った事になってきます。 近代化で日本が豊かになるにつれ、政党政治家の腐敗もまた進み、 政争の為に禁断の…憲法第11条を利用する程、政治が低レベル化していたのです。 昭和5年、時の政府は軍部の了解を得ずに補助艦艇(戦艦以外の戦闘艦の事)比率を英米の七割に抑えた 「ロンドン軍縮条約」に調印、これを政権を倒すチャンスと判断した野党は、「統帥権を犯した!」と非難を開始します。 これに、日露戦争以降国民をミスリードし続けるマスコミと既得権益を侵される事を嫌った一部の軍人が同調… 以後、政治家が軍部に異論を挟むだけで「統帥権を犯した!」と攻撃されるのが日常茶飯事となり、 軍の暴走を誰も制止出来無くなっていくのです…。 どうして、立憲君主制というシステムが破綻する可能性があるのに憲法の欠陥が長年放置されたのでしょう? 私はその原因が、 「憲法が国家という共同体を円滑に運用する為のシステムなのに、 それが予想以上の成功を収めた結果、 何時の間にやら宗教的なまでに神聖不可侵な存在なってしまった。」 という事にあると考えています。 憲法というシステムの神格化は、現在の護憲論の中にもあるように感じられて仕方ありません。 歴史は繰り返す…というヤツなんでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月03日 22時31分46秒
コメント(0) | コメントを書く
[戦争反対&歴史ネタ] カテゴリの最新記事
|
|