NSK合唱Combinare今からそう、5・6年ほど前のことだろうか。奈良市内で、僕から呼びかけて皆様に集まっていただき一つの合唱団を立ち上げた。 その働きかけの切っ掛けを語ると、その昔僕が他の合唱団に見学に寄せていただいて 後ろに座って聴いていた時、ちょうど僕の前に最近入団されたという親子が歌ってい た。 知的障害を持っているらしい中学生ぐらいの女の子とそのお母さんだ。 女の子は元気に皆に合わせて声を出す、しかし障害があるが上か素っ頓狂な声になり 目立ってそれが突出して聴こえる。 でもいかにも楽しそうなので、僕は感心して眺めていた。 その時、団の役員の方が彼らの後ろに回って来て、お母さんに何か耳打ちしたようだ 。 役員が去ると、二人は徐に帰り仕度をしてしょぼんと部屋を出て行った。 「申し訳ありませんが、ご遠慮願えますか」と言われたのだ。 彼ら親子には、こんなことはおそらく慣れっこなのだろう。 でも、何度でも傷つく痛みには変わりはない。 歌いたいという一心で健常者の輪に勇気を持って踏み入っても、やっぱり拒絶され弾 き出される、その境遇に幾度の苦痛と諦めを胸に抱いて来たことだろうか。 僕はその時、音が一糸乱されない、秩序と美しさだけを目指すのが音楽なのだろうか と疑念を抱いた。 音は、あくまで芸術を具現化する一つの媒体に過ぎないのではないか。 芸術とは何か? それは人間の様々な魂とも言うべき感情、重ねて来た苦しみ、喜び、憎しみ、嫉妬、 他人への愛、コンプレックス、そのようなものが形にされる作業であると僕は個人的 に認識している。 ハーモニー、美しい声、大勢の人間の一糸乱れぬ演奏や演技というものは、いわば見 て、聴いて美しいと感心する一つの芸に過ぎないのではないか? 多人数が集まり声を合わせて演奏する意義というものは、もっと他のところにあるは ずだ。 僕は兎に角、歌いたいと思う者が何の気兼ねも恐れもなく歌いに来ることのできる合 唱団を作りたいと思った。 そして生まれたのが「NSK合唱Combinare」である。 |