「今日一日生きて」
・1,25、月ライトハウスで借りたデージー図書(視覚障害者のために、ボランティアの方が本を読んで録音したCD)で村上春樹の「1Q84」を昨日から聴き始める。今四分の一ほどを聴き進めたところだが、例によって二つの話が同時に進行していく形。多分途中でその二つの話が交差するのだろう。いつものようにブームが去ってから読み始めることにしているが、先に読んだ人たちに感想を聞くと、皆何だか歯切れの悪い返事。感動もないし納得もなく、はっきり言って途中でほったらかされたような結末だそうだ。今の段階で僕が感じているのは、海辺のカフカとは全く違う質のもの。一つ一つのシーンで情景描写や感情描写がとても長く(時には必要以上に)中々話が前に進まない。でも元々彼の作品は、ストーリーを楽しむのが本文ではないように思う。それに付随する細部の細々とした描写や庶民的ナ哲学や、登場人物の其々の考え方とか生き方を僕は楽しみにしている。でも「海辺のカフカ」の図書館や、「羊をめぐる冒険」の僕の部屋や北海道の山小屋、「ノルウェーの森」での京都の療養所のような特別な場所、親密な箱のようなものがまだ出て来ないので、何だか落ち着かない感じ。最後まで出て来ないのもまたおもしろいかもしれない。今日は午後のグループレッスンの後に混声合唱団。天気予報で午後から雨と言っていたのを聞き逃して、雨に濡れては困る靴をはいて出掛けてしまうが、うまく雨にはあわなかった。