『やさしくなりたい』
「やさしくなりたい 正本ノン」のGoogle検索「やさしくなりたい 正本ノン」の楽天内検索***著者: 正本ノン出版社: 実業之日本社 発行年月: 1994年03月 ISBN:9784408394220 本体価格 1,165円 (税込 1,223 円) ***ネタバレ注意ですが、抜粋や自分なりの要約はこの色******自分のこと・感想はこの色で入力します******必要なところを読んでください***歴史の勉強をしていると、ただ、義務教育の間に学ぶことだけでも、人間がどんなに残酷で信用ならないかわかる。そしてそれが、いじめや、性犯罪の被害者になってしまったとき(たとえ、むき出しの陰茎を見せられたというだけでも、それが自分の理解を越えていれば)裏打ちされる。人間は残酷で悪い。だから警戒して生きる。実際騙されたりする。二十代の前半に向かって被害に遭ったり遭いかけたりする回数は増える。それは急激に二十代後半から減る。やっと幸せを実感する。すべての自分を攻撃しない他人に感謝する。自分もそうであろうと思う。理由なく暴力を受ける人を守れるならそうしたいと思う。それがひとつの理由となって、私は虐待防止のボランティアを始めました。人間は残酷で悪い私でも、暴力を受けるいわれはないと言い切れるのは子どもだけだったからです。だからといって私は暗澹たる気持ちを前面に押し出して生きてはいません。毎日にこにこしています。人間は残酷で悪いのに、私は今日も刺されもせず生きている!素晴らしい!奇跡だ!笑わずには、楽しまずにはいられないのです。私から盗まない人、私や大切な人を殺さない人に、やさしくしたくてたまらなくなるのです。***長じて、私が正本ノンさんの本が好きで、今も気になる理由は、いつも、人にやさしくありたい、あなた自身にもやさしくしてあげて、というメッセージがのっているからだと思い至りました。人は、人に大切にされることを望んでいるんだよ。その真髄がこの本にありました。それはちょっと、心に針を突き刺されるようなものでした。***人に迷惑をかけてまで幸せにならなくていい、今も私は幸せだたぶん、これだと思います。“対他的秩序愛”型人間だ、と精神科医はいうのだそうです。自分の行動で、人が喜んでくれたらそれで満足だという。私はここで、なぜ最近、富島健夫さんにひかれるのか、わかってきました。ある特定の人が喜んでくれる行動をすること自体が自らの喜びとなるのが恋愛である、というようなことを、『本音で語る恋愛論』の中で述べておられましたが、それが限りなく広がり、エゴイスティックであれと。この後半の部分があるから、人はバランスよく生きられると思うのですが正本ノンさんにはその部分がないように感じるのです。その精神活動の末の作品を読んで私は元気になっているわけですがここにちょっとだけ罪悪感を覚えます。(ゆえに、富島健夫さんだと罪悪感なしに素直に読めると予感しているのですね)そうか、どんな時でも、人は正しくあらねばならない。公平でなくてはならない。“フェアであること”、それは、今もって私の基本方針だな。小公女の例をひいて、そうおっしゃるノンさん。美しい姿勢だとは思う。***物語ではなく、作者の思いを綴った本なのですが、中には、具体的な作品のモデルになっていたり、そのままの言葉が出てきたりしています。私はちょっと、それは知りたくなかったな、と思いました。それが、怒れる話だったので(怒れる話は、感じないように生きている人にとってとても重要だと思います)フィクションにしておきたかったのです。『10万回の軽蔑』『今夜はプラトニック』『あいつ』(ライタ)(他にもあったけれど、特に具体的なのはこの三作だと思います)***ノンさんは、物語を大切にしている。小さい頃読んでいた本で、大人になった時のキャラクターって決まるというか、あぁなるほどねってわかるとこ、ある気がするんだって。そんなノンさんが、以前も紹介していたのがこちらの本魔法医師ニコラ私はといえば、小さい頃から大人がいやがるような本を辞書をひきながら読んでいた。残酷と性的表現を求めていたのだと思う。これ復刻していたのね、知らなかった。これを、小さい頃から家族の本棚から持ち出しては読んでいた。家を出るときには許可もとらず荷物にいれた。復刻版では知らないけれど、トランプなんかが貼り付けてあって、(さよならの城)一冊350円!実家にいた頃の本で、転勤してからも持ってきた本はピアノの楽譜をのぞいては、おそらくこれだけだ。その、寺山さんの紹介しているLヒューズの詩がこのノンさんの本にも出てくる。あーつながってるーと、前向きな感想を持ちました。けど、この本を読むより前、私が一番好きだった物語は、シンデレラ。頷ける…!みすぼらしく家のことをし、他人の力をかり、王子と踊って結婚、(そののち、自分をいじめたやつらはちゃんといためつけられてる)確かに確かに。夫は一般人だが私にはちゃんと王子に見えています。***生身の人間が聖人を目指すのはきつい。やさしくなるためには、まず、自分のなかの悪意の芽を、うまいこと吐きだしてやることかな。思いやりとかやさしさは、いつもいつも口当たりがいいとは限らないのかもしれないな。振り返って、やり直して、そうして生きていらっしゃるのだろうな。懐かしい人から電話に、思わず「私は相変わらずやで」と笑ってしまうが相変わらずではあかんなあ。